【佐川急便の過酷なバブル期の仕事】繁忙期を乗り越えられなければ先輩に認めてもらえない セールスドライバー激闘編➂
最近、ヤマト運輸の悪口ばかり書いているので、久しぶりに佐川急便の昔話をしようと思います。 平成6年6月6日に入社して、最初の年末は、想像を絶する厳しさがあった。 高校3年間、野球部で鍛え上げた...
最近、ヤマト運輸の悪口ばかり書いているので、久しぶりに佐川急便の昔話をしようと思います。 平成6年6月6日に入社して、最初の年末は、想像を絶する厳しさがあった。 高校3年間、野球部で鍛え上げた...
平成6年の年末が終わり、年明けの1月17日の朝、5時46分、阪神淡路大震災が発生した。 年明けの閑散期ということもあり、佐川急便にしては比較的のんびりと仕事をしていたが、この地震を境に一変した。  ...
S大先輩から言われた通り、11月23日の勤労感謝の日を皮切りに佐川急便の年末が始まった。 S大先輩からの教えは、こちらの記事をご覧になって下さい。➔ 【佐川急便年末繁忙期直前に仲間外れ】尊敬する先輩のメッセ...
佐川急便の朝の積み込みは、毎日のようにどこかで誰かが喧嘩をしていた。 能力の低い、社交性のないドライバーは、生き残れない時代だから、この世界で生き残ったドライバーは自分に自信のある人達ばかりだった。 &nb...
佐川急便に入社して1年と経っていない日。 平成6年6月6日に入社して10月中旬に卒業検定に合格して独り立ち、初めての年末が秒読みとなる11月下旬だった。 S大先輩、「岡本! 11月23日の勤労...
平成6年10月16日に独り立ち卒業試験に半人前ながら合格した。 翌日からは、朝の積み込みは、二人一組(営業車2台で一つのホーム)で車両を入れ替わり立ち代わり着車して、荷物の積み込みをした。 一...
平成6年6月6日に入社して、4か月経った10月中旬、ついに独り立ちの日が来た。 一週間前に行った卒業検定では、不合格になったばかりだった。 T運行管理課長、「運転と仕事内容の両方で独り立ちさせ...
平成6年6月6日に入社して、1か月半くらい経とうとしていた7月下旬になると、連日のK大先輩との同乗で厳しく、時には優しく教えられながらも朝、起きて職場に向かう途中は、憂鬱極まりなかった。 会社に着けば2トン...
大雪の日の配達で、今でも記憶に残っている体験は、入社して5年目の1998年(平成10年)、1月15日(木)成人の日の配達だ。 その1週間前にも大雪の中で配達をした。 当時、入社して5年目で大雪...
私は、伝票を組むことが全く出来なかった。 当時、コピー機や専用の伝票発行機から印刷されて出てくるタイプの伝票はなく、封入の横長タイプの伝票だった。 今みたいにコースに1台、専用の端末があって、...
ここまで、K大先輩のことをすごく嫌な奴のように書いてきたが、決してそんなことはない。 私は、良い先輩に恵まれた。 配達、集荷を終えて営業所へ戻るトラックの中で・・・ K大先輩、「...
一人前のセールスドライバー(当時、セールスドライバーという言葉はなかった)になるための、K大先輩との同乗の日々が始まった。 同乗とは、コースを覚えるために先輩ドライバーと一緒にトラックに乗り仕事内容やコース...
入社して1か月経った6月下旬の朝、いつもの通り朝の作業をしていると・・・、O係長に呼ばれた。 O係長、「岡本~、!!!」 岡本、「(フルダッシュで)、はい!!!」 O係長、「岡本...
江ノ島新人研修、綾瀬での運転研修が終わり、いよいよ営業所での勤務が始まった。 当時、田無(現在の西東京市)に住んでいたが、地元でドライバーとして配達するのも嫌だったので、通勤に不便ではなく(実際にはかなり負...