今回の話は前回の話の続編です。
ドッキングとは、午後便の荷物をもらいに行くことをいい、通常は大型、4トン車、に荷物を積んで来てもらう。
年末の繁忙期は18時~19時くらいがドッキング時間。
集荷した荷物もそこで渡すが、イレギュラーな事が起こる事も多い。
4トン車のドライバーは多い時に1000個以上集荷していたので
市で稼働している2トン車7台分の荷物を積めない、なんて事もある。
携帯電話が普及していない時代。
車内にある無線で連絡を取り合っていた。
岡本、「112号車どうぞ~」と、問いかけると
112号車のドライバーが
112号車のドライバー、「どうぞ~」と応えて要件を話す、といった具合だ。
当時、この無線の会話がエグかった。
完全なパワハラで、イジメの温床にもなっていた。
仕事が出来ないドライバーは、「使えないドライバー」と呼ばれ無線で叩きのめされていた。
仕事が出来る後輩ドライバー、「101号車どうぞ~」
仕事が出来ない先輩ドライバー、「‥どうぞ~」
仕事が出来る後輩ドライバー、「集荷、〇〇と、△△と、◇◇、3件とったから」
仕事が出来ない先輩ドライバー、「‥有難うございます」
仕事が出来る後輩ドライバー、「ったく、おせ~んだよ」
無線で公開処刑にならない為に必死に配達、集荷をした。
昔の先輩ドライバーは偉大だった
私のコースは集荷が35件前後、個数が110個くらい
配達は250~400個くらい、と完全な配達コースだった。
集荷の荷物はあるけど他社の稼働も多く、集荷個数は少ない。
午後便は100個くらい配達していた。
工業地帯も担当だったので4メーターの長物が50本、基盤が50個、木枠に入ったエンジンなども毎日配達していた。
飲まず食わず、やっとの思いで18時頃ドッキングに行くと
岡本、「Kさん、Sさんは?」
大先輩Kさん、「S?午後便取りに戻ったみたいよ」
岡本、「(心の中)戻った?あんなに朝積んでたのに?」
大先輩Kさん、「Hさん(4トン車のドライバー)だけじゃ荷物引けないし、Sは集荷も多いから」
岡本、「(心の中)すげ~な~、俺なんてやっとの思いでここに来ているのに」
大先輩Kさんも集荷を600個積んでいる。10キロ~20キロの印刷物ばかりだ。
4トンの大先輩Hさんは、毎日1000個くらい集荷している。
店番はマジックで書いていた時代だ。
岡本、「(心の中)俺もこんな先輩方と肩を並べられるようになりたい」
重量物でも手で持つ、が基本
19時頃、ドッキングで荷物をもらって、配達しようとしても会社が終わってしまって配達が出来ない、
なんて事も良くあった。
この時代、佐川急便に限らず何処の会社も残業なんて当たり前で
年末の繁忙期は深夜でも会社に誰かはいる、事が多かった。
宅配は少ない時代で1市に委託の宅配ドライバーが1~3台稼働している、程度だった。
私の地域の宅配ドライバーは1台で全域を配達していたので1日100個くらいが限度だった。
100個を超えると全て2トンドライバーが対応していた。
入社して6~7年くらいは台車も持っていなかった。
今みたいに高性能な台車は無く、重量物を載せて運ぶと直ぐに壊れるような台車ばかりだった。
何10キロあろうが手で持つ、が基本だった。
マンションの配達でミカン箱やリンゴの箱を8個くらい手に持って配達していたことを覚えている。
今、思い返しても「あんな配達していてよく体が壊れなかったな~」と思う。
先輩方や後輩、知り合いもヘルニアや腰の持病を持っているドライバーは多かった。
ドッキングで荷物をもらっても降ろせない
仲の良かった後輩のドライバーの話だが
19時頃ドッキングで午後便の荷物を2トン車1台分受け取って、
後輩のドライバー、「(心の中)積んでいる荷物の8割はアイワールドだからアイワールドに降ろしに行くぞ」
と行くと、荷物が降ろせない。
昔の大型ディスカウントショップはこの時間でも荷下ろし待ちの待機車両が長蛇の列を成している。
降ろせないから泣く泣く営業所にアイワールドの荷物を降ろしに帰った。
なんて話を聞いた。
地獄のような状況だ。
帰って配達出来ない荷物を降ろせるか?というと簡単にはいかない。
本来なら朝、昼に到着しなければならない配達の荷物を積んだ大型トラックが昼夜問わず待機待ちをしている。
後輩のドライバー、「S係長、アイワールド降ろせなかったんで降ろしたいんですけど」
S営業係長、「あ~?、今、降ろせるわけないだろ」
と、一喝されてしまう。
それでも何とか降ろして再び配達に戻るのは21時30分頃。
昔は23時過ぎでも家のチャイムを鳴らしていた。
そんな非常識な、と言うかもしれないが意外と感謝されて多くの方に受け取っていただいた。
その時、ジュースや食べ物をもらって車内で数時間ぶりに口に入れる、という感じだった。
O大先輩、「岡本、わかってんだろ~な、俺から認められたければ21時30分までに配達終わらして帰れよ」
O大先輩は私に厳しい先輩だったのでミッションを与えられていた。
岡本、「(心の中)絶対に21時30分までに帰ってやる」
集配中は全力疾走で朝から晩まで走ったが、実際には22時頃に帰社すれば良い方だった。
やっとの思いで帰社して未配の荷物や集荷した荷物を降ろして終わる、訳がない。
これから、まだまだ長い夜が待っている。
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