【昔の佐川急便は給料が高い理由➁】「年末繁忙期の1日 配達」

今回の話は前回の話の続編です。

佐川急便

朝の6時前に出勤して10時過ぎに営業所をやっとの思いで出発したが

本当の仕事はここから始まる。

1件目の配達が10時40分頃

営業所で最も遠方を配達しているドライバーはお昼を過ぎていた、と言っていたから凄い時代だった。

岡本、「Iさん、10時過ぎに出発して1件目の配達は何時ですか?」

I先輩、「お昼は過ぎるね。営業所から2時間掛かるから」

岡本、「配達何時頃に終わるんですか?」

I先輩、「夕方頃かな?全部は終わってないけどね」

I先輩、「配達してから集荷回れないから、配達行ったところで集荷しているんだけどね。2度回りなんて出来ないよ」

岡本、「集荷、荷台に入るんですか?」

I先輩、「ん~、ま~、何とかやっているよ」

I先輩の担当は青梅の山奥がエリアで1日の走行距離は私が70~80キロ

I先輩は150~200キロ走っている、と言っていた。

エリアが広すぎるから配達してから集荷が出来ないらしい。

この時代は自分より凄い人が何人もいて何処の地域にもいる、から頑張れたし、負けられない、と思っていた。

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1件目の配達から荷物が出ない、なんて事は日常茶飯事

朝の積み込みをツーマンセルで仕分けと積み込みをしていたのは、嫌な先輩だった。

岡本、「(心の中)いつか、あいつ〇〇してやる」

積み込みは初めのうちは、ある程度順番に積んでいるが

荷物がベルトコンベアーで次から次へと流れてくるので

岡本、「(心の中)最後の荷物がケツに来ちゃったよ」

N先輩、「岡本、何チンタラ積んでんだよ。積んだらトラック差し替えろよ。順番なんて考えてんじゃね~よ」

と、先輩から有難い厳しいご指導を毎日聞かされていたので

岡本、「(心の中)いつか、あいつより仕事が速くなってやる」

と、思っていた。

こんな調子だから1件目から荷物が出ない、1件目の荷物を降ろし忘れて、また戻る、

なんて事は日常茶飯事だった。

トラックの荷台の積載は常に100%、250個くらい。

荷台のケツの天井まで荷物があった。

1個20~30キロの荷物が何個もケツの天井近くに積んである、なんて事も日常茶飯事だった。

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取引先のお客さんは良い人ばかり

私の配達エリアは工業地帯と大通りに面したドライバースタンド、多摩靴流通センター、二木ゴルフ、アオキ、ハローマックがある。

毎日、2トン車3台分くらいは荷物が到着していた。

荷物が積めないなら4トンのドライバーさんお願いします。

なんて、いうのは今だから言えることで

1市に4トン車は1台

4トン車はコマツゼノア、ダイエー、アイワールドなどなど1000個くらい積んで配達している。

そして、4トン車は午後便の荷引きとドッキングに戻らなければならない。

運良く荷物を積んでくれても

H先輩、「岡本、また不二サッシに荷物降ろしとくから」

岡本、「わかりました。有難うございます」

配達先の会社の敷地を借りて荷物を降ろさせてもらっていた。

岡本、「(心の中)これ2トン車1台分くらいね~か?。積めね~し」

岡本、「Hさん、これ暫く置かせてもらって良いですか?」

取引先Hさん、「あ~、何時頃取りに来るの?」

岡本、「15時くらいには」

取引先Hさん、「そこじゃ邪魔だから、そっちに置いといて」

岡本、「わかりました。有難うございます」

取引先の敷地で2トン車1台分はある荷物を移し替えていると

取引先Mさん、「何しているの?」

岡本、「荷物、積めないんで、15時頃まで置かせてもらう為に移しているんです」

取引先Mさん、「大変だね~。あ~、これあげるよ」

岡本、「あ、缶コーヒー有難うございます」

佐川急便は取引先のたくさんのお客さんに憎まれもしたが、頑張っている姿を見せているドライバーを一目置いていた、のも事実だろう。

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朝から晩まで歩くことが無かった時代

入社して4年くらい経った頃に尊敬していたS先輩から言われたことがある。

S大先輩、「岡本、配達中に歩いたことあるか?」

岡本、「いえ、無いですね」

S大先輩、「そうだよな」

本当に配達、集荷中に歩いたことが無かった。

入社した頃、F先輩から

F先輩、「岡本、Aマンションはエレベーターなんて使わないで外階段から走って配達するんだよ」

岡本、「はい。わかりました」

岡本、「(心の中)本当に階段から配達するのか?」

S大先輩に聞いた事がある。

岡本、「Sさん、Fさんから聞いたんですけど、Aマンションは階段から配達していますか?」

S大先輩、「俺は5階くらいまでなら階段から配達するかな。その方が速いよ」

S大先輩、「Fさん、昔、お前のコース担当していたことがあるんだよ。その頃、やっていたらしいよ」

岡本、「(心の中)本当だったんだ」

朝の配達が終わるのが17~18時くらいだった。

後半は17時の定期集荷があったので配達しながら集荷もする、という感じだった。

ここまで、ほとんど飲まず、食わず。

午後便のドッキングは18時~19時くらいだった。

その時に集荷した荷物を4トン車に渡して配達する荷物をもらう。

岡本、「(心の中)こんな時間に荷物もらっても閉店しているんだけど」

なんて事は毎日思っていた。

続きはコチラ

頑張る営業マン

併せてお読み下さい。

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2件のコメント

ほぼ同世代の現役です。

19時くらいに最終の午後便、繁忙期あるあるでしたねぇ。

20時30分頃にショップに160サイズのパッキン20個持ってったら、閉店作業してたお姉ちゃんが泣きそうな顔になりました。

飛脚君さん

コメント、本当に有難うございます^^
現役でしたか。
頑張ってますね^^
昔の佐川急便は電話は繋がらないし、ドライバーとも連絡取れないし、荷物のバーコードをスキャンしていないから貨物追跡も出来ないし、
ほとんどが中継までで実はドライバーが持っている?みたいな
そして、お客さんは年末に荷物が届かなくて激怒して正月休み。
「新年明けましておめでとうございます」と言って年末に延着した荷物を新年に持って行く。
お客さんも新年早々怒れないからチャンチャン、みたいな
毎年繰り返していましたよね^^

私は東北の震災の年に事故を起こして退職しましたが、飛脚君さんは残りの佐川生活を満喫してください。
応援しています^^

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