今回の話は以前の投稿の拡大版です。
私が佐川急便に入社した平成6年は昭和のバブルが弾けて数年で
日本は今みたいな慢性的な不景気ではなく企業は活力があり
日本の企業は世界のリーリングカンパニー、といった雰囲気が漂っていた。
佐川急便で発送する荷物も1個1500円の荷物を100個、なんて事も少なくなかった。
この頃から数年かけて経費削減、という風潮が次第に強まっていく。
私が佐川急便に入社した頃はセールスドライバー、という言葉は無くドライバーは営業して当たり前
U店長、「お前ら、配達だけして稼げると思うなよ。ドライバーはコースを任されている経営者(社長)だという事を肝に銘じとけ」
このような有難い訓示は何度となく聞かされた。
佐川急便の繁忙期の1日は出勤してトラックに荷物を積みこむことから始まる。
営業所への出勤は絶望の始まり
この頃の私は一人暮らしをしていて
朝寝坊する事が怖かったので目覚まし(時計)を3個使い
部屋の電気、テレビを点けっぱなしにしてソファーで寝ていた。
朝起きると
岡本、「は~、(心の中)また長い1日が始まるのか」
自然とため息が出て憂鬱な気持ちで車を運転する。
朝6時頃出勤していたが、個人差があり5時30分頃から出勤している先輩もいた。
この頃の佐川急便には出勤、退勤時間というものが無く
時間を管理する、という概念が無かった。
早く出勤をして荷物を整理してトラックに積み込みをする➔ 気合いの入っているドライバー
遅くまで会社に残って翌日の段取りをしている➔ 気合いの入っているドライバー
という考えが佐川急便だったが
入社した頃、先輩は皆がそうだったので新人で入社した私も当然そういう考えになった。
トラックへの荷物の積み込みは闘い
トラックに荷物を積みこむのも大変な作業だった。
出勤して荷物を積みこもうとすると
岡本、「(心の中)荷物がほとんどない」
荷物が無い理由は、「延着(荷物を積んだ大型トラックが延着する事)」が理由で
前日の集荷をした荷物を積んだ大型トラックが各店を出発するのが
23時~遅くなると日付を回って2時頃に出発する為
関東の荷物ですら朝営業所に届かない、なんて事は日常茶飯事だった。
そして、こういう悪い流れが日に日に増幅していく。
だから、朝出勤すると
ベルトコンベアーで流れてきた荷物をスパン(空いているスペース)に積む作業から始まる。
配送課は一つの市に1人~2人くらいしか居なかった。
ベルトコンベアーは高速で時速30キロ~40キロくらい出ているので
100キロを超えるような荷物や150サイズくらいの荷物が200個流れてくるとスパンに引くことが出来ない。
引き漏れるとベルトコンベアーの流下にいる怖い先輩から喝がある。
〇市の怖いM大先輩、「おい、〇〇、てめ~何で引き漏れてんだよ。おめ~が引き漏れた荷物取りに来い」
こんな調子だから喧嘩は日常茶飯事で
毎日、何処かの市で喧嘩が起きていた。
荷物を積んで2トントラックが出発するのは10時過ぎ
佐川急便の制服は青の縞シャツと長ズボン。
青の縞シャツは真冬で雪が降ろうと例外なく半袖だった。
新人が長袖なんて着ていたら先輩から「気合が入っていない」の烙印を押され、そんな新人は生き残れないだろう。
それに半袖でも全く苦にならない。
高速のベルトコンベアーで流れてくる多種多様な荷物を全力で引き
300個前後の荷物を自分の2トントラックに積むが
2人1組でトラックを差し替えて積んでいるから自分と合方の荷物だけで600個前後
この時代は自分の事だけやっていれば良い、という訳ではなく
自分と合方の荷物が一段落したら班、係の仕事を手伝う。
朝の荷物が一段落する10時頃まで1000個以上の荷物を仕分けている。
そして、朝の荷物が一段落、する事はない。
10時過ぎに店を出発する時も何台もの大型トラックが荷物を降ろす待機待ちで長蛇の列を成している。
店を出発する時
岡本、「(心の中)今日も地獄の1日が始まるな」
こんな仕事だから真冬に半袖でも大汗をかいて仕事をしている。
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懐かしいですね。
当時は何処のホームでも怒号が飛び交ってました。
今では考えられないことですが。
飛脚君さん
コメント、本当に有難うございます^^
コメントに反応していただけると嬉しいです。
昔の佐川急便経験者ですね^^
年末の繁忙期は戦場で同僚のみんなは戦友だと思っています。
大袈裟に聞こえるかもしれませんが、そのくらいの覚悟と気合で毎日闘っていましたよね。
理不尽な要求を数多くされましたが
今日の自分を支えてくれているのは、あの時の経験があっての事だと
先輩方、同僚のみんな、お客さんに今も感謝しています。
また、コメント下さいね^^