今回の話は前回の話「昔の佐川急便は給料が高くて稼げた理由①」の続編です。
年末繁忙期、昔の佐川急便は早朝6時前に出勤して10時過ぎに営業所を出発します。
真冬なのに縞シャツの替えがいる?と思うほど大汗をかくが瞬間で冷却される。
そして、朝の積み込みと睡眠不足で疲労困憊だが本当の仕事はここから始まります。
1件目の配達が10時40分頃
営業所で最も遠方を配達している先輩ドライバーは1件目の配達がお昼を過ぎていた、と話していたから凄い時代だった。
岡本、「Iさん、10時過ぎに出発して1件目の配達は何時ですか?」
I先輩、「お昼は過ぎるね。営業所から2時間掛かるから」
岡本、「配達何時頃に終わるんですか?」
I先輩、「夕方頃かな?全部は終わってないけどね」
I先輩、「配達終わってから集荷回れないから、配達行ったところで集荷しているんだけどね。2度回りなんて出来ないよ」
岡本、「集荷、荷台に入るんですか?」
I先輩、「ん~、ま~、何とかやっているよ」
1日の走行距離は私が70~80キロだったがI先輩は150~200キロ走っている、と言っていた。
エリアが広すぎるから配達が終わって集荷は出来ない。
この時代は自分より凄い人が何人もいて何処の地域にもいる。
だから頑張れたし、負けられない、と思っていた。
昔の佐川急便は1件目の配達で荷物が降ろせない
朝の積み込みはツーマンセルで仕分けと積み込みをするが、
苦手で嫌な先輩だった。
岡本、「(心の中)いつか、あいつ〇〇してやる」
積み込みは初めのうちは、ある程度順番に積んでいるが
荷物がベルトコンベアーで次から次へと流れてくるので
最後に配達する荷物が荷台の後ろにある、なんてことは日常茶飯事だった。
N先輩、「岡本、何チンタラ積んでんだよ。積んだらトラック差し替えろよ。順番なんて考えてんじゃね~よ」
と、先輩から有難く厳しいご指導を毎日聞かされていたので、
岡本、「(心の中)いつか、あいつより仕事が速くなってやる」
と、思っていた。
こんな調子だから1件目から荷物を降ろせない。
1件目の荷物を降ろし忘れて、また戻る、
なんて事も日常茶飯事だった。
トラックの荷台の積載は天井まで積んで常に100%、250個くらい。
荷台のケツの天井まで荷物があった。
そして、1個20~30キロの荷物が何10個もケツの天井近くに積んである、なんて事も日常茶飯事だった。
4トン車は配達1000個、集荷も1000個
私の配達エリアは工業地帯と大通りに面したドライバースタンド、多摩靴流通センター、二木ゴルフ、アオキ、ハローマックがある。
毎日、2トン車3台分くらいは荷物が到着していた。
特にクリスマス前後は4トン車1台分くらいハローマックの荷物が到着する。
荷物が積めないなら4トンのドライバーさんお願いします。
なんて、言えるのは今だから言えることで
1市に4トン車は1台
4トン車はコマツゼノア、ダイエー、アイワールドなどなど1000個くらい積んで配達している。
そして、4トン車は午後便の荷引きとドッキングに戻らなければならない。
運良く荷物を積んでくれても
H先輩、「岡本、また不二サッシに荷物降ろしとくから」
岡本、「わかりました。有難うございます」
配達先の会社の敷地を借りて荷物を降ろさせてもらっていた。
取引先のお客様は良い人ばかり
岡本、「(心の中)これ2トン車1台分くらいね~か?。積めね~し」
岡本、「Hさん、これ暫く置かせてもらって良いですか?」
取引先Hさん、「あ~、何時頃取りに来るの?」
岡本、「15時くらいには」
取引先Hさん、「そこじゃ邪魔だから、そっちに置いといて」
岡本、「わかりました。有難うございます」
取引先の敷地で2トン車1台分はある荷物を移し替えていると
取引先Mさん、「何しているの?」
岡本、「荷物、積めないんで、15時頃まで置かせてもらう為に移しているんです」
取引先Mさん、「大変だね~。あ~、これあげるよ」
岡本、「あ、缶コーヒー有難うございます」
昔の佐川急便は取引先のたくさんのお客様に憎まれもしたが、
頑張っているドライバーには一目置いてくれていたし取引先企業の人も凄みのある人が多かった。
朝から晩まで歩くことが無かった時代
入社して4年くらい経った頃に尊敬していたS先輩から言われたことがある。
S大先輩、「岡本、配達中に歩いたことあるか?」
岡本、「いえ、無いですね」
S大先輩、「そうだよな」
入社して7~8年くらいは配達、集荷中に歩いたことが無かった。
入社した頃、
F先輩、「岡本、Aマンションはエレベーターなんて使わないで外階段から走って配達するんだよ」
岡本、「はい。わかりました」
岡本、「(心の中)本当に階段から配達するのか?」
S大先輩に聞いた事がある。
岡本、「Sさん、Fさんから聞いたんですけど、Aマンションは階段から配達していますか?」
S大先輩、「俺は5階くらいまでなら階段から配達するかな。その方が速いよ」
S大先輩、「Fさん、昔、お前のコース担当していたことがあるんだよ。その頃、やっていたらしいよ」
岡本、「(心の中)本当だったんだ」
朝の配達が終わるのが17~18時くらいだった。
後半は17時の定期集荷があったので配達しながら集荷もする、という感じだった。
ここまで、ほとんど飲まず、食わず。
午後便のドッキングは18時~19時くらいだった。
その時に集荷した荷物を4トン車に渡して配達する荷物をもらう。
岡本、「(心の中)こんな時間に荷物もらっても閉店しているんだけど..」
なんて事を毎日思っていた。
昔の佐川急便は何故?給料が高くて稼げたのか?という理由がわかると思います。
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併せてお読み下さい。
ほぼ同世代の現役です。
19時くらいに最終の午後便、繁忙期あるあるでしたねぇ。
20時30分頃にショップに160サイズのパッキン20個持ってったら、閉店作業してたお姉ちゃんが泣きそうな顔になりました。
飛脚君さん
コメント、本当に有難うございます^^
現役でしたか。
頑張ってますね^^
昔の佐川急便は電話は繋がらないし、ドライバーとも連絡取れないし、荷物のバーコードをスキャンしていないから貨物追跡も出来ないし、
ほとんどが中継までで実はドライバーが持っている?みたいな
そして、お客さんは年末に荷物が届かなくて激怒して正月休み。
「新年明けましておめでとうございます」と言って年末に延着した荷物を新年に持って行く。
お客さんも新年早々怒れないからチャンチャン、みたいな
毎年繰り返していましたよね^^
私は東北の震災の年に事故を起こして退職しましたが、飛脚君さんは残りの佐川生活を満喫してください。
応援しています^^