【昔の佐川急便は給料が高くて稼げるブラック企業だった理由①】

今回の話は前回「昔の佐川急便は給料が高くて稼げた理由②」の続編です。

佐川急便

昔の佐川急便が何故?ブラック企業と言われていたのか?がわかると思います。

佐川急便で働いているドライバーがドッキングと言っているのは、

午後便の荷物を受け取りに行くことをいい、通常は大型、4トン車、に荷物を積んで来てもらいます。

しかし、昔の佐川急便は4トン車が地域に1台とかしか稼働していなかったので、

配達を終えた2トン車が営業所に午後便の荷物を積みに戻る、事は当たり前でした。

年末の繁忙期は10時過ぎに営業所を出発して15時くらいに営業所に荷物を積みに戻ります。

S大先輩「岡本、配達している時に歩いたことはあるか?」

岡本「ありません」

gokamont

これが「昔の佐川急便は給料が高くて稼げた理由」だと思います。

新人で配達が遅いドライバーは営業所に戻れません。

無線で、

S大先輩「岡本、今日ドッキング出来るか?」

岡本「すいません、戻れません」

こんな体たらくを何日も続けていると班で信用を失ってしまう。

岡本「絶対に明日こそは営業所に戻って先輩にドッキングしてやる」

なんて事を毎日思っていた。

そうして積み重ねると班で信用される存在になっていく。

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昔の佐川急便はパワハラが日常茶飯事

昔の佐川急便の年末繁忙期は18時~19時くらいがドッキング時間でした。

集荷した荷物をドッキング場で4トン車に渡しますが、

イレギュラーな事が起こる事も多い。

4トン車も集荷を1000個とかするので集荷を渡せないことも多々ある。

2トン車の午後便の配達が100個とかあるのに集荷した荷物を営業所に降ろしに戻る、なんて事も日常茶飯事だった。

携帯電話が普及していない時代。

車内にある無線で連絡を取り合っていた。

岡本「112号車どうぞ~」と、問いかけると

112号車のドライバーが、

112号車のドライバー「どうぞ~」と応えて要件を話す、といった具合だ。

当時、この無線の会話がエグかった。

仕事が出来ないドライバーは「使えないドライバー」と呼ばれ無線で叩きのめされていた。

完全なパワハラでイジメの温床にもなっていた。

仕事が出来る後輩ドライバー「101号車どうぞ~」

仕事が出来ない先輩ドライバー「‥どうぞ~」

暗い応答。

仕事が出来る後輩ドライバー「集荷、〇〇と△△と◇◇、3件とったから」

仕事が出来ない先輩ドライバー「‥有難うございます」

暗い応答。

仕事が出来る後輩ドライバー「ったく、毎日おせ~んだよ」

無線で公開処刑にならない為に必死に配達と集荷をした。

先輩ドライバーは偉大だった

私のコースは集荷が35件前後、個数が110個くらいだった。

配達は250~400個くらい、という配達コースだった。

集荷の荷物はあるけど他社の稼働も多く、私の集荷個数は少ない。

午後便は100個くらい配達していた。

工業地帯も担当だったので4メーターの長物が50本、基盤が50個、木枠に入ったエンジンなども毎日配達していた。

飲まず食わず、やっとの思いで18時頃ドッキングに行く。

岡本「Kさん、Sさんは?」

大先輩Kさん「S?午後便取りに戻ったみたいよ」

岡本「(心の中)戻った?あんなに朝積んでたのに?」

大先輩Kさん「Hさん(4トン車のドライバー)だけじゃ荷物引けないし、Sは集荷も多いから」

岡本「(心の中)すげ~な~、俺なんてやっとの思いでここに来ているのに」

大先輩Kさんも集荷を600個積んでいる。10キロ~20キロの印刷物ばかりだ。

4トンの大先輩Hさんは毎日1000個くらい集荷している。

店番はマジックで書いていた時代だ。

岡本「(心の中)俺もこんな先輩方と肩を並べられるようになりたい」

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台車を積んでいる車両が無い時代。重量物でも手で持つ。

19時頃、ドッキングで荷物をもらって配達しようとしても会社が終わっていて配達が出来ない。

営業所に集荷した荷物を降ろしに帰ると再びコースに戻るのが20時過ぎ、なんて事も多かった。

しかし、この頃の企業は佐川急便だけが特別に忙しい訳ではない。

年末の最繁忙期になると23時頃でも会社に人がいて荷受けしてくれることもあった。

宅配は少ない時代で1市に委託の宅配ドライバーが1~3台稼働している程度だった。

私の地域の宅配ドライバーは1台で全域を配達していたので1日100個くらいが限度だった。

100個を超えると全て2トンドライバーが配達していた。

入社して6~7年くらいは台車も持っていなかった。

今みたいに高性能な台車は無く重量物を載せて運ぶと直ぐに壊れるような台車ばかりだった。

何10キロあろうが手で持つのが基本だった。

マンションの配達はミカン箱やリンゴ箱を8個くらい手に積み重ねて持って配達していた。

今、思い返しても「あんな配達をしていてよく体が壊れなかったな~」と思う。

先輩方や後輩、知り合いもヘルニアや腰の持病を持っているドライバーは多かった。

gokamont

体を壊すかもしれないリスク。昔の佐川急便は給料が高くて稼げた理由です。

ドッキングで荷物をもらっても降ろせない

仲の良かった後輩のドライバーの話です。

19時頃ドッキングで午後便の荷物を2トン車1台分受け取って、

後輩のドライバー「(心の中)積んでいる荷物の8割はアイワールドだからアイワールドに降ろしに行くぞ」

と行くと、荷物が降ろせない。

昔の大型ディスカウントショップはこの時間でも荷降ろし待ちの待機車両が長蛇の列を成している。

降ろせないから泣く泣く営業所にアイワールドの荷物を降ろしに帰った。

なんて話を聞いた。

地獄のような状況だ。

そして、営業所に戻って配達出来ない荷物を降ろせるか?というと簡単にはいかない。

本来なら朝や昼に到着しなければならない配達の荷物を積んだ大型トラックが昼夜問わず荷降ろしの待機待ちをしている。

後輩のドライバー「S係長、アイワールド降ろせなかったんで降ろしたいんですけど」

S営業係長「あ~?今、降ろせるわけないだろ」

と、一喝されてしまう。

それでも何とか降ろして再び配達に戻るのは21時30分頃。

昔の佐川急便は給料が高くて稼げたブラック企業

昔は23時過ぎでも宅配で家のチャイムを鳴らしていた。

そんな非常識な、と言うかもしれないが意外と感謝されて多くの人に受け取っていただいた。

【なぜこんな時間に?】夜11時に配達にきた宅配ドライバー

引用元:https://ameblo.jp/yukitanoyonkoma/entry-12793390136.html

その時、ジュースや食べ物をもらって車内で数時間ぶりに口に入れる、という日々だった。

O大先輩、「岡本、わかってんだろ~な。俺から認められたければ20時30分までに配達終わらして営業所に帰れよ」

O大先輩は私に厳しい先輩だったのでミッションを与えられていた。

岡本「(心の中)絶対に20時30分までに帰ってやる」

集配中は全力疾走で朝から晩まで走ったが、実際には21時頃に帰社すれば良い方だった。

やっとの思いで帰社して未配の荷物や集荷した荷物を降ろしても帰れる訳ではない。

これから、まだまだ長い夜が待っている。

gokamont

これで帰れないのが「昔の佐川急便は給料が高くて稼げたブラック企業の理由」です。

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