【佐川急便の過酷なバブル期の仕事】繁忙期を乗り越えなければ先輩に認めてもらえない セールスドライバー激闘編➂

最近、ヤマト運輸の悪口ばかり書いているので、久しぶりに佐川急便の昔話をしようと思います。

平成6年6月6日に入社して、最初の年末は、想像を絶する厳しさがあった。

高校3年間、野球部で鍛え上げたから我慢することは出来る、と思っていたが、部活を辞めてから5年近く経って、その間、怠惰な生活に身を落とし

高校の時、74キロだった体重が92キロと、大増量していた。

佐川急便に入社した頃の話はコチラ➔ 【佐川急便入社動機は、360万円の借金返済】江の島新入社員基礎研修初日check

様々な苦境を乗り越えて? 最繁忙期の年末のある日、大晦日迄、残り20日を切ったころ

朝、出社するとスパン(営業車が着車して荷物を積むところ)に荷物が10個くらいしかない。

荷物が流れてくるベルトコンベアーは、もの凄い速度で回転している。

配送課A氏、「こんな速度で荷物引けるわけねーだろが」

そんな罵声がアチラコチラで聞こえる中、

一緒に積み込みしていたN先輩が、

N先輩、「岡本!お前、荷物引けよ。俺は積んでいるから」

岡本、「わかりました」

岡本、「(心の中)何事が起きているんだ?」

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佐川急便の先輩は漢気のある人ばかりだった

繁忙期が終わって、尊敬する大先輩S氏に聞いた。

岡本、「年末は何故? 荷物到着するのがあんなに遅れるんですか?」

S大先輩、「発送が終わったの0時過ぎてただろ。発送終わってから到着の荷物流すから遅れるんだよ」

大先輩S氏、「どこの店も似たような感じだから路線の到着も遅いしな」

その日の前日は、夜中の1時30迄、会社にいた。

発送が終わった後に課長が、みんなを集めて言った。

U課長、「みんな、疲れている中、申し訳ないんだがスポットの伝票書きをやってくれ!」

伝票を手書きで書いていた頃の話だ。スポットの荷物は3000個らしい。

岡本、「3000個? 3000枚?、手書き?」

しばらく伝票を書いていると、

S大先輩、「岡本、もう帰っていいぞ。キリがないから」

岡本、「…すいません。失礼します」

翌日になってS大先輩に何時まで会社にいたか聞くと

岡本、「Sさん、昨日、何時まで会社にいたんですか?」

S大先輩、「あ~、2時30分くらいかな」

岡本、「…2時30分ですか…」

そして、翌日の朝、5時30分には会社にいる。

「大変な事を大変に見せない」漢気のある先輩ばかりだった。

しかし、仕事になればそんなことさえ言ってられない。

朝から喧嘩は当たり前

岡本、「(心の中)時速40キロくらい出ているんじゃね? というベルトコンベアーの荷物を引くのも大変な作業だ。

当時は、手書きの伝票だからベルトコンベアーで流れる荷物の住所と宛先を確認するのも至難の業だ。

50キロ、100キロ、の重量がある荷物も平気で流れてくる。

木枠に入ったエンジン(何のエンジンかは不明)、門松(高さ1,5メートルくらい)、看板(木枠に入った横幅3メートルくらい)などなど

そんな荷物が様々な荷物と一緒に流れてくる。

個数口も50個、100個は当たり前

ツーマンセルで一人が荷物の引き、一人が引いた荷物を片しながら自分のトラックに積み込むという作業を永遠とする。

そして、荷物を引き漏れしようものなら容赦なく違うエリアの大先輩から罵声を浴びる。

K大先輩、「おい、引き漏れしてんじゃねーよ!」「引けねーなら代われ!」「取りに来いよてめー」

この時代、言い争い、喧嘩なんて日常茶飯事で、毎日、どこかのエリアで喧嘩沙汰は起きていた。

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佐川急便の最繁忙期は荷物を積んで出発するのが10時30分

前日?の夜、2時ころ家に帰って(年末は会社に泊っている先輩も多くいた)

朝、5時30分~6時くらいに出勤

出勤したら荷物が無くて

ツーマンセルで荷物の引きと積み込み

2トントラックの朝の積み込み個数が、250~300個

市に1台しかない4トン車は、朝の積み込み個数が、1000個、集荷も1000個

年末が終わって4トン車を担当していたH大先輩に聞いたことがある。

岡本、「Hさん、年末は何個、配達、集荷、していたんですか?」

H大先輩、「到(到着)発(発送)2000かな」

岡本、「…凄いですね…」

伝票が手書きで店番(営業所のコード)をマジックで書いていた時代だ。

後にバーコードをスキャンするだけで集荷することが出来るようになった時は、大袈裟ではなく泣いて喜ぶほど嬉しかった。(これで、少しは仕事が楽になる)

こんな大先輩から認められるようになるには、自分の限界を超える努力をしなければならない。

真冬の極寒の中、半袖の縞シャツを着て大汗をかきながら荷物の積み込みが終わって店を出発するのは10時30頃だった。

この時点で自分の限界は超えている。

更なる努力をして配達、集荷を早く終わらせなければ、大先輩に仕事を認めさせることは出来ない。

ここからが、戦いだ。 続く…

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