私が、佐川急便に入社したのは1994年(平成6年)6月6日だった。
あまり細かいことは覚えていないが、当時の私はどうしようもないくらいバカだった。
そもそも、入社は、それより2週間前が、入社日だったが寝坊してばっくれた。
後日、連絡があり、さすがに2度ばっくれるのはやばいなと思ったのと、「平成6年6月6日って、すげーゴロが良いじゃん」みたいなノリで本社に行ったのを覚えている。
それと、絶対に入社しなければならない理由もあった。
平成5年の8月の連休中に180万円のローンで買ったマイカーを大事故で修理をし、借金が倍の360万円になった。
佐川に就職しようか? ヤマトに就職しようか? 迷ったが、「ヤマトより佐川の方が制服が青で給料も高いし、良いじゃん!」みたいな軽いノリで佐川急便に就職することにした。
確か入社して、その日のうちに研修だったと記憶している。
江東区砂川の本社に集合し、そこからバスで研修所の江ノ島に行ったのを覚えている。
2泊3日の研修が始まった。
健康診断をして、面接をして、制服もらって、30人くらいがバスに乗って、江の島にある研修センターに向けて出発した。
半分、遊びに行くような感じでバスに乗った。
遠足気分で江の島研修センターに到着!
江の島の研修センターに着くと、数ヶ月前の夜、親友と車で遊びに来た場所の近くだった。
頭の中が、遠足みたいな気分になったのを覚えている。
館内に入り、数人の部屋割りがされて、同じ部屋の人と雑談をして、13時から入社式が始まった。
すると、突然、教官Aが、
教官A「私が、手を叩いたら素早く起立をしろ! もう一回、手を叩いたら素早く座れ!」
確か、こんな内容だったと記憶している。
この動作を50回くらいやらされた。
40人くらいいる新人の中で、明らかに動きが遅い人は、店名と名前を呼ばれ注意された。
だから、みんな必死になって立ったり座ったりした。
次に、発声練習をした。
確か「あ~、え~、い~、お~、うー」みたいなやつを、何10回も、ダメだしされながらやらされた。
それだけで全身が、くたくたになった。
その後、やたらと長い肩書がついたおっさんが、偉そうなことを言っていたが、話の内容は、覚えていない。
顔は真面目な顔で聞いてはいるが、疲れたのと、つまらね~話だなと思っていた。
入社式が終わった。
厳しいとは聞いていたけど、とんでもない目に!
しばらくして、暗記ノートを渡された。
教官Aは、全てそれを暗記しろと言う。
岡本、「社歌、佐川急便行動じゅっくん?…」
岡本、「冗談じゃね~よ~、こんなの全部覚えられるわけないじゃね~かよ~」と、いうのが本音だった。
私は、暗記が、超苦手だった。
暗記する時間を少し与えられ、直ぐに審査が始まった。
その審査も、審査を受けられるまでの動きみたいなのがあり、審査部屋に入るときに、馬鹿でかい声で、「入ります!」と、言い審査を受けて下さる教官に向けて礼をする。
礼もやり方があり、お辞儀を斜め45度までして、心の中で1、2、3と数えて、起き上がる時も全力で起き上がる。
1で斜め45度になり、2は45度の状態を保ち、3で跳ね上がるように元に戻る。
バネが伸びたら、収縮する、みたいな勢いで礼をする。
だから、礼をすることだけでもくたくたになる。
暗記も覚えて、この動作も覚えて…
半分、遊び気分で来ていた私は、すぐに極度のパニクリ状態になった。
岡本、「ここまで厳しいのかよ~、聞いてないよ~」
昼間の食事もそうだったが、夜の食事も豪華だったのを覚えている。
法事の仕出し弁当みたいなやつがでてきて、刺身、てんぷらまで入っている。
一人、一食、3000円くらいはするだろう。
まだ、バブルが弾けて間もない時期だったので、そういうお金の掛け方は、本当に凄かった。
昔の、佐川急便は、ムチを10回叩かれると、特大のアメが空から降ってくる、みたいなイメージだった。
研修生の中には、食べれない人もいたが、教官Aが、「お膳の中にあるものは、全て食べろ!」と、言っていたのと、腹が減っていたので完食した。
そして、あっという間に、初日の、研修が終わった。
30年前の佐川急便江の島新入社員基礎研修2日目➔ 【ランニング、ラジオ体操で筋肉痛】朝食はいじめ!江の島新入社員基礎研修2日目check
コチラも見て下さいね! 続編です。
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