平成6年10月16日に独り立ち卒業試験に半人前ながら合格した。
翌日からは、朝の積み込みは、二人一組(営業車2台で一つのホーム)で車両を入れ替わり立ち代わり着車して、荷物の積み込みをした。
一人が荷物をローラーに載せて、もう一人が荷台に荷物を配達順に積んでいく。
私は、N先輩と2人一組で積み込みをした。
N先輩は、独り立ちしてから1年くらいは、私にとっては相当嫌な先輩だった。
と、いうより私の仕事内容が、この時代の佐川急便レベルより相当低かったから舐められていた。
荷物を積んで会社を出発すると真っ先に行くところがある。
私の師匠K大先輩から教えてもらった弁当屋に行き、おにぎりなどを買い、食べながら伝票を組むことが独り立ちしてからの日課になった。
他のコースの先輩は、師匠K大先輩がこなしていたコースの三分の二しか出来ない私の穴埋めのために必死になって会社を出発し、一件でも多く一個でも多く配達しようとしているのに・・・
私は、のんびりと朝飯を食べながら伝票を組んで、それから配達をしていた。(自分では、のんびり仕事をしているつもりはなかったが、先輩からはのんびりしていると見られていた。)
入社して独り立ちしたばかりの私は、その程度の考え方しかなかった。
私が佐川急便に在籍していた時なら、そんな新人を見たら叱り飛ばしただろう。
朝、到着した荷物を配達し終わると会社に帰って午後、到着した荷物を積んで配達する。
私は、先輩やライバルのOドライバーより少ない配達の個数にも関わらず、配達が終わって会社に帰るのも遅かった。
本来なら先輩に配達を助けてもらっているのだから配達を終わらせて真っ先に会社に帰って、先輩の荷物の積み込みを手伝うくらいでなければならない。
新人としての心構えがなっていなかった!
独り立ちして一週間も経たないうちに、こわもてでぶっきらぼうで厳しいO先輩に呼ばれた。
O先輩も凄い先輩だ。
この時代の佐川急便で仕事が出来ないドライバーは、いない。
仕事が出来ないドライバーは、淘汰される。
O先輩、「岡本! お前、配達手伝ってもらってるのわかってるよな!」
岡本、「はい・・・」
O先輩、「午後、何故俺の方が早く帰ってるんだよ!」
岡本、「はい・・・・・・」
O先輩、「お前、真面目に仕事してんのか?」
岡本、「はい・・・・・・」
肋骨にヒビが入っても700個、集荷してくるK大先輩
私と親しかったK大先輩からも一言、言われた。
K大先輩、「岡本さ~、今、頑張らないと自分の居場所無くなっちゃうよ! Sも同じこと言ってたよ!」
K大先輩に言われたことと、S大先輩も同じように考えていたことが、ショックだった。
K大先輩は、肋骨にヒビが入っても2トン車で700個くらい集荷してくる先輩だった。
仕事が出来ないドライバーは、飲みにも誘われなかった!
自分にも厳しいK大先輩だったが、仕事が出来るようになるまでの私に対して、厳しい面もあった。
S大先輩、「K、今度、岡本も飲みに誘おうよ!」
K大先輩、「(笑いながら)まだ、仕事出来ないからな~、飲みは、まだ無理かな?!」
そんな厳しい言葉を笑いながら言えちゃうような先輩だった。
仕事が出来ないドライバー➔ まだ、仲間ではない➔ だから、一緒に飲みにも行けない。
昔の佐川急便は、完全な縦社会だった。
でも、入社歴に関係なく仕事が出来れば会社の中で認められる。
私が最もお世話になったS大先輩も超人的な先輩だった。
S大先輩の超人話はコチラ➔ 【佐川急便の先輩ドライバーは、本当に凄かった!】セールスドライバー誕生編②check
この時代の先輩の一言には、説得力があった。
自分がやっていない、やれないことは、人には言わない。
でも、競ってドライバーは、不可能を可能にしようと物凄い努力をする。
S大先輩とO先輩は、仲が良くなかった。
派閥で言うなら、
S大先輩派➔ K大先輩、師匠K大先輩、岡本
O先輩派➔ N先輩(一緒に積み込みをしている)
新人ライバルOドライバーは、中立派だった。
S大先輩からのメッセージ
S大先輩、「岡本! 昨日、Oから配達終わったら会社に早く帰れ!、とか言われたんだって!」
岡本、「はい・・・、でも、自分が悪かったんで・・・」
S大先輩、「俺が明日、13時に会社に帰って来て、ぎゃふんと言わせてやるよ!」
岡本、「え?!・・・、13時ですか?・・・、そんな時間に帰って来れるんですか?・・・」
S大先輩、「任せろよ! あいつより早く帰って岡本の分も整理しといてやるからよ!」
岡本、「・・・・・・はい・・・・・・」
翌日、S大先輩は、本当に配達を終えて13時に会社に帰って来て、午後便の荷物の整理をしていた。
岡本、「凄いですね! 配達、何個あったんですか?」
S大先輩、「220くらいかな?」
岡本、「・・・・・・(心の中)150個くらいで14時に帰った俺は、何なんだ!・・・」
S大先輩は、O先輩にではなく、私に対してメッセージをくれたんだと、思った。
S大先輩、「(心の中)岡本! 仕事は、こういう風にするんだぞ! よく、見とけよ!」
翌日から、私は、変わろうとした。
どうしたら配達、集荷が早くなるか? 考えた。
S大先輩、K大先輩から早く認められるようになって、一緒に飲みに連れて行ってもらえるようになりたい、と思った。
佐川急便に入社して、私は、本当に良い先輩に巡り合えた。
早く先輩から認められるようになりたい!
11月中旬、S大先輩に相談してコースを師匠K大先輩がこなしていたコースにしてもらった。
岡本、「(心の中)班で認められるようになるには、このコースを出来るようにならなければならない。」
S大先輩、「岡本! 頑張れよ! 今度の勤労感謝の日(11月23日)から忙しくなるからな!」
岡本、「わかりました!」
初めての佐川急便での年末
平成6年6月6日に92キロあった体重が、平成6年12月31日に78キロになっていた過酷な年末が始まる。
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