【佐川急便で働いていた頃の苦い思い出】「俺って会社から評価されていないのか?6カ月で給料が7万円下がった」

5年半、コースドライバーとして奮闘の末、S主任から

S主任、「岡本、今度、代走をやってくれないか? 俺は、Oよりは人の面倒を見れるお前を評価しているんだよ」

Oというのは、過去の記事にも度々登場する私より半年遅く入社して私より仕事が出来るOドライバーの事だ。

Oドライバーは、前職も運送会社で働いていて、社会人が初めて、運送会社で働くのも初めて、運転免許を取得して10カ月しか経っていなかった私とは比べ物にならなかった。

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試験に合格して喜びを表す

S主任から言われた「お前を評価しているんだよ」という言葉は、言われて素直に嬉しかったが、まんまと術中にはまって代走をすることになってしまった。

代走というのは言葉の通り、係や班、時には係を超えて休みのドライバーの代わりにコースに乗る雑用?のような仕事だ。

代走が何故?嫌がられるかと言えば

・ 様々なコースを覚えなければならない

・ ドライバーの罠にはまることが度々ある(未配達の荷物や不在の荷物など)

・ 仕事が大変な割には給料面でも優遇されない

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代走はストレスが溜まる仕事

ドライバーの罠とは

Hドライバー、「岡本さ~ん、今日、不在が25件もあるんですよ。すいませんが、お願いしま~す」

翌日、コースに乗ると

岡本、「(心の中)不在とか言ってたけど未配(配達していない荷物)じゃね~か」

慣れていないコースを走って配達して、未配の荷物も全部配達して、不在の荷物も出来るだけ少なくして、帰社すると

Iドライバー、「岡本さん、申し訳ありませんが不在が15件あるんでですよ。すいません」

岡本、「まじかよ~。わかった。(心の中)明日も大変な1日になりそうだ」

ある年末の繁忙期には

Hドライバーの代走をすると(このドライバーが様々な事をやらかす諸悪の根源だったが、人は悪くないので許せてしまう)

岡本、「(心の中)あれ?荷台の電気が点かないぞ」

翌日、Hドライバーに聞くと

Hドライバー、「あ~、すいません。荷台の電気切れているんですよ」

普段、あまりドライバーに文句を言わない私も

岡本、「切れてる、じゃね~だろ。16時30分には暗くなるんだから替えとけよ」

Hドライバーは、繁忙期の1年で一番忙しい年末に荷台の電気を点けないで仕事をしていた。

「仕事が出来ない人」というのは単に能力だけではなく、準備など仕事に取り組む姿勢が欠けているんだな、と思った。

市内で7台2トン車が稼働していたので

代走で3カ月ぶりに乗る、なんてことも度々あった。

3カ月も乗っていないコースに乗ると忘れているし、様々なことが変わっている。

岡本、「○○5-24-27、△□株式会社?、こんな住所と会社あったか?」

こんな日常を1年、2年と繰り返すとストレスも溜まる。

交通事故を起こすリスクもコースドライバーをしているより格段に高い。

6カ月で給料が7万円下がった

そして、私が代走をし始めた頃は、給料面でも評価されているようだったが、数年経った頃、3か月ごとの査定で4万円、3万円と給料が下がった。

岡本、「(心の中)こんなに係や班の為に頑張ってきたのに俺って会社から評価されていなかったのか?」

そして、今の給料が入社3年の後輩ドライバーより低いことがわかって愕然とした。

代走という仕事は営業もするドライバーではあるがコースがないので営業成績がない。

しかし、主任、係長、課長などキャリアアップする最初の登竜門のような位置づけだった。

私はコースドライバーをまだまだ続けたかったが、Oドライバーと比較されて「お前を評価しているんだよ」という言葉に「やります」と言ってしまった経緯がある。

「代走は自分には荷が重いのでコースドライバーをやらせて下さい」なんて。口が裂けても言えない。

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腐って仕事をする、という暗黒の時代

僅か6カ月という期間で月給が7万円も下がって入社3年の後輩ドライバーより給料が少なくなった、という事実は当時の私にとって衝撃的だった。

岡本、「(心の中)あ~、わかったよ。会社がそうなら俺は何もしね~よ」

日々、代走の仕事はするが、会社の愚痴を言い、仕事にもやる気がない仕事ぶりは周りのドライバーにもわかっただろう。

佐川急便の店長は、2~3年で交代するのが通例だが

当時の店長が自分に抱いていたイメージは「岡本?あ~、不平不満が多く、仕事にやる気のない奴だな」というイメージだったと思う。

しかし、班の全ての2トン車の代走がこなし、4トン車、大型の代走も出来て、事故違反もない。

当時の係長からすれば「仕事に前向きではないが使い勝手が良い」と思われていたと思う。

そんな「腐って仕事をする」という日常を5年くらい続けることになる。

5年経って自分に嫌気が差していた時に突然変わる転機があった。

岡本、「(心の中)趣味の海釣り(磯釣り)が出来ればそれだけで幸せじゃないか?趣味の為に仕事も前向きにしよう」

ただ、それだけだった。

後に主任、係長への道を開いてくれたO係長は

O係長、「岡本は、突然、仕事を前向きにするようになった、と感じたんだよ。これなら主任も出来る、と思ったよ」と、後に話してくれた。

何事でもそうだが、自分の考え方一つで人は変われる、と思った。

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