大雪の日の配達で、今でも記憶に残っている体験は、入社して5年目の1998年(平成10年)、1月15日(木)成人の日の配達だ。
その1週間前にも大雪の中で配達をした。
当時、入社して5年目で大雪での配達なんか経験したことがなく、8日、昼頃から9日の朝まで降り続き、この時は、何とか集配を終えたが、翌朝のことも考えて帰宅はせずに皆で近くのファミレスで食事をし、会社に泊まった。
20年経った今でも、その時の雪の光景と仲間と食事している姿をはっきりと覚えている。
だが、成人の日の大雪は、悲惨な配達になった。
雪は、15日の未明から降り始めた。
出勤するときは、一面、銀世界だった。
朝、5時に起床し会社に向かった。
会社に到着するのに1時間以上かかった。
会社に到着すると、路線(荷物を店舗に運んでくる大型トラック)が、雪の影響で到着しておらず配達する荷物もまだ少ない。
この日の出勤人数は、班で5人だった。
4トン車、1台、2トン車、4台だった。
前日、尊敬するS大先輩(主任)が、大雪に備えて出勤人数を1人増やしていた。
4トン車は、集荷、配達で1000個くらいあるコースなので手一杯だった。
2トン車は、量販店の配達が多く、アイワールドに2トン車1台分、ハローマックに50個、多摩靴流通センターに大きい荷物が30個、車のホイールが30個とか平気で届く時代だった。
S大先輩、「配達は、2トン車、3台で何とかやってくれ! 俺は、全域の集荷をやるよ!」
岡本、「(心の中)4台で割った方が効率が良いんじゃないか?」
と、思ったが結果的には、この作戦が成功した。
タイヤチェーン巻くのに1時間
私は、タイヤチェーンを装着するのが超苦手だった。
まず、鉄製の重いチェーンを取り出すと・・・
岡本、「これ、切れてますよね?」
K大先輩、「え?!、切れているね!」
K大先輩、「それ、運管(運行管理)に持っていって替えてもらいなよ!」
岡本、「はい!」
岡本、「Tさん、チェーン切れているんですけど・・・」
T運行管理課長、「お前、先週の雪の時、チェーンが切れたら出せって言っただろ!」
岡本、「すいません(忘れていた)」
大雪が降るから事前に備えておこうとかいう頭は、まだ働かなかった。
2トン車の鉄製のチェーンは、重く、装着するときは、泥だらけになって装着する。
4トン車、大型車のチェーンは尋常ではない重さだ。
岡本、「Kさん、この金具のところどうやるんでしたっけ?」
K大先輩、「これ、先週、教えたじゃん! こうだよ~!」
岡本、「これ、わからないんですよね~」
K大先輩は、とても気さくな先輩でよく飲みにも行った。
しかし、仕事にはとても責任感が強く、集荷中に荷台から転倒し肋骨を折っても「痛てよ~!」と言いながら仕事を続け、直してしまう筋金入りの精神力があった。
入社して3か月くらいの時は、S大先輩が、「今度、岡本も飲みに連れて行こー!」と言ってくれた時、K大先輩は、「岡本とは、まだ飲めないよ!」と、言った厳しい先輩でもある。
この時代、仕事が出来ると認められないと飲みにも誘われない厳しい時代だった。
チェーンを装着するのに1時間くらいかかった。
悪戦苦闘!大雪の中の配達
店を出発したのは9時30分頃だった。
いつも出発する時間より1時間も遅い。
店を出ると1面の銀世界・・・
岡本、「(心の中)これは、大変な配達になるな」
奥まった住宅街を配達しようと車で入っていくと・・・
雪が深くてハンドルを切ろうとすると、それ以上動けなくなってしまう。
立往生していると家の中から女性が出てきて・・・
配達先の女性、「お湯を持ってきたからタイヤの後ろにかけるね!」
岡本、「ありがとうございます!」
20年経った今でも、この時の人の優しさを覚えている。
イエローハットに配達に行くと店長が雪かきをしていた。
新青梅街道は、雪の影響で大渋滞をしていて雪を踏み固めて路面は、凸凹になっていてトラックに乗っていると、まるで荒馬のロデオに乗っているかのようだった。
新青梅街道に除雪車が走っていた。
新青梅街道で除雪車を見たのは、この時が初めてだった。
イエローハットの店長が私の姿を見るなり配達してくれ!、と言っている。チェーンを50個くらい積んでいた。
後に聞いたことだが、先週の大雪でタイヤチェーンが飛ぶように売れて店の在庫が全くなかったと言っていた。
新青梅街道から店に入る歩道は、雪が踏み固められ、まるで坂のようになっていた。
斜めに侵入すると入れないと思い、追い越し車線から歩道に対して直角に勢いをつけて侵入すると車は、「ドガン」、という音とともに宙に浮き、もう少しで転がってしまうんじゃないか?、と思うくらい車が斜めになった。
この時、横転事故を起こしていたら営業所の伝説になり、未来も変わっていただろう。
昔の佐川急便に在籍していると、こういう一か八かの勝負みたいなことは、日常茶飯事だった。
イエローハット店長、「いや~、持ってきてくれて助かったよ! タイヤチェーンが飛ぶように売れてさ!」
私が、荷物を降ろすと店長は、すぐに店の中にチェーンの箱を持っていった。
店は、お客さんで一杯だった。
班で配達していたのは、自分だけだった
やっとの思いで配達を終わり店に帰社すると班で配達していたのは、自分だけだった。
後に営業課長まで出世するA大先輩でさえ、会社をでて3件目の配達でハンドルを取られ畑に突っ込み、大型の牽引車にレスキューしてもらったと言っていた。
この時代、携帯電話はあったが、災害が起こると圏外になって全く使い物にならなかった。
最初に到着した牽引車では引っ張り出せずに再度、大型の牽引車を呼んで引っ張り出したから凄く時間がかかったらしい。
結局、班で未配の荷物は、2トン車2台分くらいあったが、集荷漏れはS大先輩の好判断でなかった。
岡本、「Sさん、お疲れ様です! 全域の集荷、全部取ったんですか?」
S大先輩、「そうだよ~! さすがに疲れたな!」
岡本、「何件くらいあったんですか?」
S大先輩、「40件くらいかな?」
岡本、「40件ですか? 凄いですね~ 配達と集荷分けたのは、好判断だったんですね!」
S大先輩、「だろ~! なんかこうなりそうな予感がしたんだよ!」
この日、配達を最後までやっていたのは、2トン車の3分の1にも満たない台数で、事故を起こしたドライバーが2名いた。
S大先輩、「岡本、多少の未配はあるけど最後まで配達してたんだろ! 大したもんだよ!」
岡本、「ありがとうございます!」
尊敬するS大先輩に褒められたことが、何より嬉しかった。
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