最近「オートロックのマンション」は珍しいものではなくなりつつあるが、今回はオートロックマンションでの配達に関するクレームをご紹介しよう。
このクレームは少々デリケートな内容であり、配達ドライバーの言い分もわかるし、住人の言い分も最もだと思われる。
ドライバーにすれば「そのくらいは大目に見てくれてもいいのでは」と思っても、住人からすれば「ちゃんとしてくれ!」とういうことになる。
あるオートロックマンションの住人からヤマト運輸の営業所に寄せられたクレームだ。
それは「オートロックの意味がないじゃないか?!」というものだった。
住人の中には、「不法侵入だぞ!」と言う人までいる。
クレームの内容はこうだ。同じマンション内の違う部屋にも届ける荷物があった。
1件目のお客様に対してはマンションのエントランスからインターフォンでコンタクトを取り、オートロックを開けてもらって玄関先まで伺った。ここまでは通常通りだ。
2件目について、既にマンション内にいるのでそのまま玄関先まで行き、直接玄関のインターフォンを押して「荷物です」とやってしまったという。
配達する側の気持ちはよく分かる。
同じマンション内に別の届け物がある以上、一度荷物を配達した後、わざわざまた1階のエントランスまで戻るのは面倒だ。
そんな軽い気持ちからエントランスには戻らずに、そのまま続けて配達してしまった。住人からすれば「いきなり玄関先までやってきて怖い」というのだ。
2件目のお客様は、配達員が1件目の配達のために既にマンション内に入っていることなど知る由もないのだから、驚くのは当然だ。
「悪気はなかった」では通用しない時代
ドライバーとしても悪気があった訳ではないのは理解できる。
それ以降、同じマンション内の複数の家庭に荷物を届ける場合には、2件目以降の家庭を直接訪問するのはNGとなった。
エントランスで事前に「後程伺います」という連絡をしてから訪問しなければならなくなった。
オートロックマンションに住んでいると、インターホンが鳴っても相手はまだ玄関の前ではなく、エントランスにいると思うのが当然だ。
だからこそ、誰かがいきなり玄関前にいれば驚くのは当然だ。
ましてや最近では、宅配便絡みの犯罪も発生しているだけに、住人にそのような不安感があるのも仕方がない。
「宅配便です」と名乗られて開けたら泥棒だった、といった事件も現実に起きている。
おそらくこれが15年、20年前であれば営業所にクレームが入ることもなかったのではないかと思われる。
この件に関しては本気で怖かったのだろう。いきなり玄関の目の前に配達員がいたことが衝撃だったのだろう。
不法侵入と言われても致し方ないかもしれない。
配達ドライバーを弁護するつもりはないが、この心理はオートロックマンションという環境に身を置いた人間でないとなかなか分からないものなのだろう。
もちろんその配達ドライバーに対しては軽い注意のみではあったものの、それ以降、こうした新しいルールができたことについては「面倒だな」と思ったドライバーもいるであろう。
しかし、こうしたことは氷山の一角なのである。
最近では些細な事に対しても「そんな目くじら立てるようなことではない」と思われるようなクレームが起きる。
クレームが起きるとヤマト運輸としては「取り敢えず謝れ」という姿勢だ。
配達したドライバーも内心では、「なんでこんなことでクレームされなければならないの?」と歯がゆい思いをしているのも事実だ。
何がクレームになるか分からないのが今の時代だ。
配達クレームが起きやすい時代
それこそマンションの前に駐車していることでクレームが寄せられるケースもある。
交通量の少ない道路でドライバー同士で荷物の受け渡しをしていたら「道路で何をしているんだ」とクレームが入ることもある。
私自身も配達をしたら営業所に連絡が入って「何で?こんなことでクレームになるんだ?」と思ったことはある。
こうしたクレームの根源は、ヤマト運輸の姿勢にあるかもしれない。
クレームする側は「ヤマト運輸ならばあれこれ言い返してこない」と思っている節がある。
いわば「ヤマト運輸はサンドバッグになってくれる」との勘違いから、ちょっとしたことでも、まるで鬼の首を獲ったかのようにクレームしてくるケースもある。
ドライバーを含め、現場の人間を守るという点では、そろそろヤマト運輸の上層部も理不尽なクレームに対しては毅然と「NO」を突き付けることも必要ではなかろうか?
上層部は「面倒を起こさないよう謝っておけ」と指示するだけだが、実際にクレームに耐えて頭を下げなければならないのは現場だ。
オートロックマンションの住人感情はよく理解できる。
しかし、明らかに難癖だろうと思われるレベルのクレームに対しては、「それが当社の方針です」と言えるような姿勢も必要ではなかろうか。
従業員を守るためにも「業務環境改善」を本気で考えて欲しいと願う。
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