【佐川急便に勤めている社員は「東京佐川急便事件」という黒歴史を知らなければならない】暴力団関連企業の債務保証で数千億円の借金返済

東京佐川急便事件という黒歴史

1987年(昭和62年)11月、竹下登が第74代内閣総理大臣に就任した。

同氏の総理大臣就任に至る経緯がそもそも「佐川急便事件」の発端になったと言われている。

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竹下内閣誕生の経緯

1987年は第73代中曽根康弘内閣総理大臣が率いる第3次中曽根内閣の時代でした。

中曽根自民党総裁は同年11月には自民党総裁任期の満了を控えていました。

そこで、10月に同党の幹事長であった竹下登を次期総裁に指名(中曽根裁定)し、党大会において正式に承認されました。

翌11月、中曽根内閣は総辞職し、竹下登が第74代自民党総裁の座に就いた。

竹下は1987年7月、自民党田中派の大多数の議員が参加した新たな最大派閥「経世会」(竹下派)を結成し、その会長に就任していた。

東京佐川急便事件は、「皇民党事件」を抜きにして語ることはできない

1987年、竹下登は自民党総裁、内閣総理大臣に就任することになりますが、当時、稲川会系の右翼団体である日本皇民党から執拗な「褒め殺し」攻撃を受けていた。

「褒め殺し」とは「嫌味になるほど褒めたてること。必要以上に褒めちぎることで、相手を冷かしたりけなしたりすること」

これは簡単に言ってしまえば「嫌がらせ」そのものである。

この褒め殺しとは、名誉棄損に該当しない方法で、主として右翼団体などが相手を罵倒するときに使う手法である。

例えば、「日本一金儲けの上手い竹下を総理大臣にしよう!」などと街宣車で叫ぶ。

このようにして、直接的に相手を罵倒したりすることなく相手の短所を取り上げ、徐々に相手にダメージを与える。

では、何故?竹下は右翼団体から褒め殺しを受ける羽目になったのか?

竹下登が「褒め殺し」を受けるようになった経緯

それは、竹下が恩義のあった田中角栄を裏切ったためだとされている。

竹下は自分が所属していた田中派を事実上乗っ取ったといわれ、田中側とは絶縁状態にあった。

竹下は総裁選に出馬する直前に田中側に挨拶に行くことを申し入れたが門前払いされていた。

竹下はこの褒め殺しの対応に手を焼き、当時の腹心であった金丸信に相談した。

相談を受けた金丸信は、当時の佐川急便社長であった渡辺広康に、稲川会前会長の石井隆匡との仲介を依頼した。

渡辺広康は、暴力団とも繋がりがあり「政界のタニマチ」としても知られ、絶頂期には夜な夜な赤坂や銀座で豪遊していたといわれている。

「タニマチ」とは「大相撲で力士のひいき筋、後援会のこと。明治の末頃、大阪谷町筋4丁目の相撲好きの外科医が相撲取りから治療代を取らなかったところからいう」と解説されている。

石井会長の仲介の結果

金丸信から依頼を受けた渡辺社長は、石井隆匡に「褒め殺し」を止めるよう頼み、その結果、皇民党は竹下が田中角栄に謝罪をしに行くことを条件として中止することに同意した。

その後、竹下は約束通り田中角栄邸を訪問した結果、皇民党の褒め殺し活動は中止され、数週間後には竹下は自民党総裁に就任した。

実際には、竹下の田中邸訪問は門前払いに終わったといわれている。

東京佐川急便事件の全貌

このまま終われば、大きな問題になることはなかったのだが、事件はここから始まることになる。

竹下登は首相に就任後、都内の料亭において、金丸信、渡辺広康、石井隆匡と会食をしたことが世間に知られることになり、政界と暴力団との癒着が暴かれる結果となった。

その後、佐川急便は石井隆匡が関係する企業に対して、次々と融資や巨額の債務保証などをするようになった。

これらの融資や債務保証は返済の見込みがないものばかりだった。

佐川急便グループの中核企業である東京佐川急便が債務保証を行った融資の総額は数千億円にもなったと言われている。

こうした中で、いわゆるバブル経済が徐々に崩壊し、1991年には石井隆匡からの利息の支払いが滞るようになり、ついに巨額負債の返済が事実上不可能になった。

東京佐川急便は石井隆匡に対して、返済計画の変更などを求めたが資金不足を理由として更なる債務保証をする結果になった。

こうして莫大な債務を背負った東京佐川急便は倒産寸前の状態に追い込まれ、最終的には親会社である佐川急便に吸収される結果になった。

これにより、1992年2月には渡辺広康社長、常務取締役、不動産会社社長ら4人が特別背任容疑で東京地検特捜部に逮捕された。

そして、同年9月には金丸信が東京佐川急便から5億円の政治献金を受けたにも拘わらず、政治資金収支報告書への記載が漏れていたことを認めたため、政治資金規正法違反で略式起訴された。

その結果、金丸信は20万円の罰金を支払い議員を辞職した

金丸信は罰金を払い議員辞職したが、「5億円のヤミ献金」や「佐川側急便から多額の献金を受け取ったと思われる政治家たちへの捜査」も有耶無耶のうちに終わってしまった。

この事件を切っ掛けに現在は「暴対法(暴力団対策法)」の適用も厳しくなり、企業の献金等にも世間の目が光るようになった。

こうした政治のスキャンダルを風化させない為にも、決して忘れてはならない事件が「東京佐川急便事件」です。

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