入社して1か月経った6月下旬の朝、いつもの通り朝の作業をしていると・・・、O係長に呼ばれた。
O係長、「岡本~、!!!」
岡本、「(フルダッシュで)、はい!!!」
O係長、「岡本、お前さ~、Sの集配の手伝いしろよ!、今、出発するところだからSのところに行け!」
岡本、「はい!???」
S大先輩は、私が入社してから大変お世話になり、可愛がってもらった大先輩だ。
後にわかった事だが、S大先輩は、暴走族の長をしていたらしい。
風貌もパンチっぽい髪型で、横に剃りこみが入っている。
いかにも、昭和生まれの暴走族の長という風格があった。
岡本、「岡本です。よろしくお願いします!」
S大先輩、「おう!悪いね~、昨日、腰やっちゃってさ、頼むよ!」
私は、緊張と佐川急便のドライバーの仕事が見れるという期待感で複雑な心境だったが、高校時代に野球部で鍛えられた(しかし、現役から5年が経ち、高校時代73キロだった体重が、・・・91キロまでになっていた)経験があるので、体力なら自信がある、と思っていたが・・・
岡本、「(心の中)、やるぞ~!、高校時代に鍛えられた経験があるから、ま~、耐えることと体力なら大丈夫だ!」
平成6年の夏は、地獄のような暑さだった
平成6年の6月下旬、その日の最高気温は、34度にまでなった。
しかも、エアコンなしの車だった。(2トン車でエアコンが着いていた車は、班で6台中、2台だけだった)
S大先輩、「大丈夫か???」
岡本、「(大汗をかきながら)、大丈夫です!、まだまだ、やれます!」
S大先輩、「そうか! 無理するなよ!」
岡本、「はい!」
正直、くたくただった。
お客さんの配達先に到着して、トラックを駆け下り、荷物を取りだしにトラックの後ろに行き、観音扉を開けて、荷物を取りだす。
岡本、「Sさん、こんな広い荷台で、なんで荷物がどこにあるかがわかるんですか?」
S大先輩、「慣れだよ! トラックの中で、分けて置いてあるから大体わかるな!」
岡本、「分けて置いてあるって???・・・、トラック満載ですよね???・・・、わかるんですか???」
当時、朝の配達個数が、2トン車で200個を下回るという事は稀で、ほとんどの車が積載100%、平均の朝の配達個数が、200~250個、午後便を合わせると、300~350個、(配達件数で、100~150件)、集荷個数は、100個~300個、多いコースで700個、(集荷件数は、25~45件)だった。(集荷が多いコースは、配達が、若干少なくなっていた。)
とにかく、仕事が早い!!!
真夏のような炎天下の中を、全く苦にせず走る。
ドライバー1人、1人がコースの社長
ただ早いだけじゃなく、あるお客さんのところでは・・・
S大先輩、「毎度~、Kさん、こないだの件、考えていただけましたか?」
出荷担当者Kさん、「お~、機械で伝票発行出来る奴だよな!」
S大先輩、「そうです! 秘伝アシストです。どうですか?」
出荷担当者Kさん、「あれがあると、わざわざ手書きで伝票書く必要ないし、楽は楽だけど、・・・コストがね~」
S大先輩、「出荷個数が多いお客様は、かなりの費用対効果があります! 是非!、ご検討を!」
出荷担当者Kさん、「考えとくよ! 社長にも話してあるからさ!」
S大先輩、「よろしくお願いします!」、と話したと思ったら、またトラックに飛び乗る。
この人に近づきたい!そうなれば俺は変われると本気で思った!
凄いな!!!、と思った。
俺も頑張ってこんな佐川マンになりたい、と思った。
後日、秘伝アシストの導入が決まった。
2件目の成約だという。
契約するだけで20万くらい掛かり、月額のランニングコストが、数千円したと記憶している。
今、どこの運送会社でも無料で貸与してくれる伝票を発行する機械(コピー機があれば伝票発行機すら必要なくなっている)は、20年前、こんなに高かった。
お客さんからすれば、何で運送会社の伝票を作るのに会社が金払って、こんなに高いんだよ!、と思うだろう。
それだけに、成約が難しかった。
夜、帰社するトラックの中で・・・
S大先輩、「今日は、ありがとな! 厳しい時もあるけど、続けていれば良い時もあるから、頑張れよ!」
岡本、「はい! 頑張ります!」
しばらく経って聞いた話だが、S大先輩は、非常に厳しい先輩で新人と同乗すると、翌日から同乗した新人は来なくなるという。
私が独り立ちしてからだが、その後、新人2人がS大先輩と同乗して2人とも1か月経たないうちに会社を去ってしまった。
後日、S大先輩から「岡本は、大丈夫だと思ったよ!」、と言われた時は、本当に嬉しかったのを覚えている。
今、思い起こすと何人かの大先輩に、「お前は、残りそうだな!、とか大丈夫そうだな!」とか、言われた。
私は、頭も悪く、何の取り柄もない人間だが、高校時代の野球部の経験から、苦しくても耐えることだけは出来た。
当時の佐川急便は、コースドライバーとしてデビューして継続出来るのは、限られた人間だけだった。
その日の昼食は、200個を超える配達の数で、13時過ぎには配達が終わった。
S大先輩、「岡本、何食べたい?」
岡本、「え???、お任せします」
S大先輩、「じゃ~、ラーメンにするか?」
岡本、「はい!」
岡本、「配達って、いつもこのくらいの時間に終わるんですか?」
S大先輩、「終わる時もあれば、終わらない時もあるよ!、今日は、岡本に手伝ってもらったからな!」
岡本、「(心の中)、本当に凄い先輩だな!」
当然のように、昼食もご馳走になった。
俺も、絶対こんな凄い佐川マンになるぞ!、と思ったが、・・・、それから1か月も経たないうちに佐川急便の本当の厳しさを痛感することになる。
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