【過酷な佐川急便の営業ノルマ】カーネーションと朝顔も配達しながら販売!

入社して、2~3年経った頃だった。

K大先輩、「岡本、今度は、朝顔を売るらしいよ!」

岡本、「「え~、???、母の日、終わったばっかじゃないっすか?!」

岡本、「いつからですか?!」

K大先輩、「すぐに、パンフレット渡されるらしいよ!」

岡本、「…」

K大先輩は、新人時代に大変お世話になった先輩で、1日500個~1000個の出荷があるお客様を担当していた。

荷物は、印刷物で平均10キロくらいの荷物を、2トン車で集荷し出荷量が多く積めなくなると、私も応援で荷物を積みに行ったりしていた。

K大先輩は、仕事中、荷台から落下してアバラ骨を数本折りながらも仕事をするという、超人的な大先輩だった。

今のご時世だったら、やれ労災事故だのと騒ぎになり、嫁さんや母親まで出て来て、「会社を訴えてやる!」、なんて言ってるかもしれないが、偉大な先輩は、そんな軟弱な人間ではないし、そんな軟弱な人間は、昔の佐川急便では通用しない。

私にとって、S大先輩と、K大先輩がいなければ、新人時代、佐川急便を続けられたかどうかわからない。

新人時代の軟弱な自分を厳しく、そして優しく鍛えてくれた、尊敬する大先輩だった。

そんな凄い先輩も、私が入社して、7~8年で殆どの人が辞めてしまった。

凄い人は、いつまでもダラダラと佐川急便で仕事をしない。

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母の日のカーネーション販売が終わったばかりなのに・・・

5月の第2日曜日に母の日が終わり、入谷の朝顔市が、7月6日~8日に開催される。

4月にカーネーションを買って下さい!、とお客様にお願いに行き、6月に今度は、朝顔を買って下さい、とお願いに行くのは正直嫌だった。

しかも、私が入社した頃のカーネーションは、価格が高く品質が悪いと、数件のお客様に言われ、とても今度は、朝顔を買って下さい、と言えない状況だった。

岡本、「こんにちわ~、佐川急便です!」

お客様Yさん、「あら…、岡本さん、ご苦労様!」

岡本、「Yさん、お願いがあるんですけど…」

お客様Yさん、「あら、今度は、何かしら?!」

岡本、「実はですね…、毎年、7月に入谷で開催している朝顔市、ご存知ですか?」

お客様Yさん、「あ~、毎年ニュースでやってるわね?!」

岡本、「今度、東京佐川急便が、台東区にある入谷の朝顔市とコラボしまして、東京に住んでいる方々に、是非、朝顔を普及してもらえたらと、お願いに来ました。」(口から出まかせ、適当に言っている)

お客様Yさん、「…、お金、掛かるの?」

岡本、「パンフレット、お持ちしました!、…、見て下さい!」

お客様Yさん、「これ、紫と赤があるけど、色、選べるの?」

岡本、「…、いえ、選べないそうです、…」

お客様Yさん、「値段も、4000円って高くない?」

岡本、「入谷の朝顔市から、産地直送だから、安いと思いますよ?!」(口から出まかせ、適当に言っている)

お客様Yさん、「…、岡本さん、カーネーションのお花、あったでしょ?!、実は、あれ、評判良くないのよ!」

岡本、「…、そうですか…」

お客様Yさん、「だから、今回は、辞めておくわ?!、ごめんなさいね?!」

岡本、「いえ、いえ、…、こちらこそ、無理なお願いしてしまって…、また、よろしくお願いします!」

こんな、感じだった。

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売れない新人ドライバーは、自腹を切らなければならない!

売れない理由は、母の日から2ヶ月しか経っていない事と、母の日に買ってもらったカーネーションの品質が良くなかった事と、4000円(だったと思う?)、という値段が要因だった。

当時、配達、集荷をしながら、売ることに必死になっていたが、今から思えば、そんな中でも買ってくれたお客様が何人もいたことに、本当に感謝しているし、お客様が自分を育ててくれた、と思っている。

朝顔の30個というノルマも、最初の2~3年は、自腹を切って目標達成だった。(入社して2~3年は、母の日と、朝顔で毎年5万円くらい自腹を切っていた。)

しかし、入社して5年経った頃には、キャンペーン開始から1週間くらいで自腹を切らずに、目標達成出来るようになっていた。

佐川急便を辞めて5年になるが、私を育ててくれた佐川急便には、本当に感謝している。

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