平成6年6月6日に入社して、4か月経った10月中旬、ついに独り立ちの日が来た。
一週間前に行った卒業検定では、不合格になったばかりだった。
T運行管理課長、「運転と仕事内容の両方で独り立ちさせるには不安があるな!」
それから一週間後、T運行管理課長に呼ばれた。
T運行管理課長、「岡本! 明日、卒業検定やるぞ!」
岡本、「はい!」
岡本、「(心の中)一週間で急に運転がうまくなったり、仕事が早くなったり出来るわけないだろ!」、と思ったが・・・
上司から言われた言葉に「はい!」しか答えようがない。
エアコンがないトラックの地獄のような暑さをどうにかこうにか乗り越え?(乗り越えてないで壁にしがみついていただけのような気もする。)
初めて運転したトラックにもちょっとは慣れてきた。(この頃が、一番事故を起こしやすかった頃だろう。私が、大きな事故を起こさなかったことは、奇跡とも言える。)
でも、一応、卒業検定の日がやって来た。
卒業(仮)先輩のコースの3分の2
結論から言うと、独り立ちは出来ても(仮)卒業だった。
尊敬するK大先輩がこなしていたコースを3分の2に縮小しての見切り発車だった。
K大先輩、「岡本! 1町だけなんだから楽勝だろ!」
岡本、「・・・頑張ります・・・」
K大先輩、「何だよ! 元気ないじゃんかよ! 楽勝だろ!」
岡本、「・・・頑張ります・・・」
卒業検定、当日の朝までこんな調子だった。
本当に嫌な奴だった! ライバルOドライバー
一か月遅れで入社して9月下旬には、あっさりと独り立ちしたOドライバーは、コースの物量は違うものの3町こなしている。
私のコースは、1町の中に大きな工場があったり新青梅街道には、量販店も乱立しているコースだ。
ライバルOドライバーは、新青梅街道より北側に位置しているコースで、多摩湖の南側に位置している通称、「山(やま)」、と言われているコースだった。
そんな土地柄でありながら、1件で集荷が1日100~200個、コンスタントに出荷されるお客様も抱えているコースだった。
私のコースはというと、他業者(主にヤマト運輸)との競合も熾烈で集荷30件、100個という感じだった。
しかし、大変さで言えば、誰が見ても3町抱えているOドライバーのコースの方が大変だった。
走行距離が長く一日を通して配達、集荷に絶えず追われ大変なコースだ。
私はというと、一町だけだった。
尊敬するK大先輩がこなしていたコースの3分の2だけだった。
だから、独り立ち後、よく嫌味も言われた。
ライバルOドライバー、「おかもっちゃんは、良いよな~! 一町だけで。」
岡本、「・・・・・・」
ライバルOドライバー、「毎日、本当に時間がないよ! 集荷、手伝えない?」
岡本、「俺も早くこなせるようになって、Kさんがこなしていたコースを乗れるようにならないと・・・」
ライバルOドライバー、「・・・ま~、そうだよね!」
私にとって、本当に嫌な奴だった。
しかし、この時代、仕事の能力があることが会社内で一人前と認められる前提条件で、能力がないドライバーは、「使えない奴」、という言われ方をあからさまにされていた。
だから、毎日、必死で闘っていた。
本当にお世話になった! T運行管理課長
T運行管理課長、「岡本! よし、お前がどれだけうまくなってるか、見るの楽しみだよ!」
岡本、「・・・よろしくお願いします・・・」
T運行管理課長、「何だよ! 大丈夫か? ま~、まずは事故を起こさないことが基本だから確認と運転だけはしっかりやろうな!」
岡本、「よろしくお願いします!」
T運行管理課長は、当時の年齢は、50歳くらいだっただろうか?、私にとっては親父みたいな人で、運送会社の経験もなく、運転が下手で入社してきた私をよく面倒見ていただいた大先輩だった。
一日中、T運行管理課長に同乗指導してもらい前回、不合格だった時に比べて何が変わっているのか?、わからないながら会社に帰社するときのトラックの中で合格をいただいた。
T運行管理課長、「岡本! 今日で同乗卒業な! 明日から全部一人で仕事をこなさなければならないから頑張れよ!」
岡本、「え! ありがとうございます!」
T運行管理課長、「え! じゃね~よ!(笑)」
岡本、「いや(笑) ありがとうございます!」
T運行管理課長、「岡本! でも、K(K大先輩)やS(S大先輩)から聞いているとは思うが、本当に頑張らなければならないのはこれからだからな! 一か月後には、年末が始まる! そこを乗り越えろよ!」
岡本、「はい! ありがとうございます!」
年末に一つのコースを任せるには、10月中旬がタイムリミットだったのだろう。
この頃の佐川急便は、11月23日の勤労感謝の日の祭日を皮切りに年末に突入していた。
ブラック企業!佐川急便の教育に本当に感謝している!
今日、委託で仕事が出来るのも、この時期に運転技術や安全運転の考え方をみっちり教えてもらったからだろう。
社会人経験もなく何の生産性もない入社仕立ての新人だった私に月給50万円を支払ってくれ、私に教育もしてくれたのだから佐川急便という会社には、本当に感謝している。
この頃の佐川急便は、時間管理なんて言葉も聞かないほどのブラック企業だったが、そこで生き残っているドライバー、管理職の人達は魅力あふれる凄い人ばかりだった。
不思議とこれから7~8年経って、配達品質がどうだ、とか時間管理がどうだ、とか言われたころからこういう猛者達がこぞって退職し、佐川急便は普通の運送会社になってしまったように思う。
こういう猛者たちにとっては、魅力のない会社になってしまったのだろう。
だが、配達品質を追求し時間管理も出来ない運送会社では、今日、佐川急便は存在出来ていないのだろう。
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