【佐川急便新人時代の思い出】激務の後の銭湯は幸せ!セールスドライバー誕生編④

ここまで、K大先輩のことをすごく嫌な奴のように書いてきたが、決してそんなことはない。

私は、良い先輩に恵まれた。

配達、集荷を終えて営業所へ戻るトラックの中で・・・

K大先輩、「岡本、どこに住んでるんだ?」

岡本、「田無です」

K大先輩、「遠いな~」

岡本、「営業所まで、30~40分くらいです」

K大先輩、「久米川に風呂屋あるんだけど、帰りに行かないか?」

岡本、「是非、お願いします!」

昔、久米川の駅の近くに銭湯があった。

同乗中、週に2回くらい会社帰りに、その銭湯に行った。

銭湯といっても、サウナもあれば食事処もある。

連日の猛暑で体はクタクタ、汗でベタベタの私には、至福の瞬間だった。

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昔は、帰りに一杯なんて当たり前だった

K大先輩、「すいませ~ん、焼肉定食2つと大ジョッキ2つ」

平成11年、11月28日に起きた「東名高速飲酒運転事故」までは飲酒運転の取り締まりもさほどなかったし運送会社で働く人は帰りに飲んで帰るなんてことは、当たり前だったように思う。

この15年間で飲酒運転の考え方も変わった。

K大先輩は、銭湯では仕事の話もほとんどしなかったし、まして説教なんてことも全くしなかった。

食べて、飲んで、雑談しながら笑って、寝た。

その銭湯は、23時で閉店だったのでリクライニング出来る椅子で寝ていると銭湯の従業員が起こしに来てくれるから目覚まし代わりにもなる。

疲れを癒すには最高の場所だった。

だいたい1時間半くらい仮眠してから帰宅する。

まだ、ビールを飲んだ酔いが残っていないか?、といえば完全に抜けてはいないが、ちょうど気持ち良い状態で帰宅できる。

K大先輩は、誰とでも話すような気さくな先輩ではなかったが、本当によく面倒見てもらった。

K大先輩、「岡本、また、明日な!」

岡本、「はい、明日もよろしくお願いします!」

風呂も入って、食事して、後は、テレビ見て寝るだけだった。

毎回、すべてご馳走になった。

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おごられなくなったら一人前の証

これは、後から知ったことだが、先輩が新人におごるというのは当たり前だったらしい。

おごられている間は、先輩とは対等ではなく見習いみたいなもので、一緒に食事に行って割り勘になった時がようやく対等になった、ということだった。

事実、独り立ちして自分の仕事は自分でこなし、他のドライバーの仕事も手伝えるようになるとおごられることはなくなった。

昔の佐川急便のドライバーは、そんな男気のある人ばかりだった。

社会人になって初めての大きな壁への戦いが続く。

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