新人研修、2日目になった。
朝起きて、集合して、軽くランニング、ラジオ体操、朝食という流れだったと思う。
ランニング、体操、朝食を摂る、ということでさえ、佐川流がある。
全てのことに、全力でなければならない。
それが、佐川流だ。
ランニングは、軽く走るが、集合した時に、点呼があり、点呼が気を抜けない。
1列になって、班長が、番号と言い 「1、2、3、4…」と続いていく。
ちょっとでも、呼吸が合わなかったら、やり直しになる。
出来ないと、永遠と続いていく。
ラジオ体操で筋肉痛?意味わかんね~
また、ラジオ体操が、半端じゃない。
私は、ラジオ体操で、全身筋肉痛になった。
しかも、平成6年の夏は、尋常じゃない暑さだった。
記憶が正しければ、6月下旬に38度になった年である。
この日も、地獄のような暑さだった。
集合する時は、隊形がある。
班ごとに1列になり、号令とともに、全力ダッシュで、体操の隊形になる。
班の後ろの人ほど、走る距離が長く、一番後ろの人は、20メートルは、走るだろう。
これも、みんなが決められた時間内に、体操の隊形にならないとやり直しになる。
教官A、「体操の隊形に開け! 1、2、3、4…遅い!遅い!やり直し!元の隊形に戻れ!1、2、3、4…」
こんな具合である。
開け、戻れで、15回は、繰り返しただろう。
教官A、「それでは、ラジオ体操を始める。B講師、お願いします。」
B講師、「それでは、ラジオ体操を始める。 私と、同じことをして下さい。1、2、3 4…」
これも、何度も、何度も、やり直しになる。
手を抜いているような人がいると、個別指導をされて、さらし者になる。
これも、20回はやり直しただろう。
15年後、講師として行くことになるが、実は、ラジオ体操の講師をするのも大変なことだ。
普段、営業所の係長、課長が、ラジオ体操なんてしてるわけもなく、まずはラジオ体操を覚えて、号令をかけるタイミングも覚えて、壇上に立って間違わずに完璧に何度もやらなければならない。
3日間、朝からテンションをマックスにもっていくのも骨が折れる。
朝食は、作法というか、手続きがある。
(班単位で朝食を取りに行き、トレーの上の何をどこに置き、誰が水を取りに行くなど、班の一人、一人に役目があり、班の中の一人が立った時に椅子をしまわないだけでも、連帯責任でさらし者になる)
研修中は、基本、自由ということが、全くない。
何をするにしても、班で行動をする。
そして、朝食を摂る手続きをした後、やっとのことで、朝食が食べられる。
2日目の朝になると、食欲不振になる研修生が何人もいる。
これから待ち受けている審査の事で、頭が一杯になり、食事を摂るよりも暗記をしたい、という人もいるが、当然、食事中の暗記は、禁止されている。
研修中に夜逃げ?ウソのようなホントの話
そして、審査の時間になった。
私は、暗記することが苦手だった。
しかも、廊下で立ったまま、大声を出して、40人はいるだろう場所で、他の人と一緒に暗記をする
他の人の声も聴かされながら、暗記することが、全く出来なかった。
暑さと私の人生に経験のない暗記方法で、頭がおかしくなっていた。
私は、決して物覚えのいいタイプではないが、吸収し始めると、物凄いスピードで物事を覚えていくタイプだ。
競馬に例えると、典型的な追い込み馬で、しかも中長距離戦が得意なタイプだろう。
だから、いきなり走ったこともない競馬場に行って、短距離、不良馬場みたいなところでは、能力を発揮できない。
全く、覚えられない。
そして、2日目の審査が終わった。
夜の食事も、凄く豪華だった。
2日目の夜は、今までただ厳しいだけの研修だったが、不思議と昼間、鬼のような講師が優しかった。
そして、昼間、鬼のような教官Aが、「明日、1日あるが明日の審査を乗り越えれば、君たちにとって自信になり、頑張るっていうことは、素晴らしい事なんだと実感できる。
だから、明日、最終日の審査、全力を出し切って審査に合格しろ!」と、話した。
みんなで肩を組んで、社歌を歌った。
昼間の厳しさとのギャップで、泣いている人もいた。
ビールも飲めた。
そして、3日目の不安を抱えながら、2日目が終わった。
初日の夜、2日目の夜で、合計3人の、夜逃げリタイア者がいた。
それだけ、厳しい2日間の、研修だった。
30年前の佐川急便江の島新入社員基礎研修最終日➔ 【過去最低の研修生は、卒業検定に合格出来るのか?】江の島新入社員基礎研修最終日check
コチラも見て下さいね! 続編です。
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