【ブラック企業佐川急便】凄いぞ!初任給50万円 セールスドライバー誕生編①




江ノ島新人研修、綾瀬での運転研修が終わり、いよいよ営業所での勤務が始まった。

 

当時、田無(現在の西東京市)に住んでいたが、地元でドライバーとして配達するのも嫌だったので、通勤に不便ではなく(実際にはかなり負担になった)、車で30分くらいの営業所の武蔵村山店を希望した。

 

朝の勤務開始時間は、今みたいにタイムカードがあるわけでもなく、6時20分くらいから始まる感じだった。

 

早い人は、5時30分には会社に来て、トラックに荷物を積んでいる人もいた。

 

時間管理は、されていなかった。

 

今でいう典型的なブラック企業だった。

 

私は、新人という事もあり始めのうちは、7時出勤だった。

 

7時に出勤して大型トラックが着車しているホームに行き、荷物を降ろす手伝いをして、先輩ドライバーの荷物の積み込みの手伝いをする。

 

そして、先輩ドライバーが出発した後は、会社構内の掃除をするのが、日課だった。

 

午後からは、2トントラックを運転する練習や、スポット荷物の作業、(先輩ドライバーが、大口の荷物を集荷してきた時に伝票を手書きで書いたり、店番を書いたりする)の手伝いをした。

 

夕方からは、発送(集荷した荷物を、各店に送る作業)の準備をして、先輩ドライバーが、荷物を集荷して帰ってきたら荷物を降ろす手伝いをした。

 

帰宅時間は、入社して1か月くらいは19時30分くらいには、会社を出ていた。

 

セールスドライバーとして、デビューするまでは、遅くても20時30分くらいには、帰宅していた。(当時、セールスドライバーという言葉は、ありませんでした)

 

初任給は、本当に50万円だった!

 

入社する際、求人雑誌を見て、初任給50万円~60万円と書かれていたのを思い出し、いざ給料日になって・・・・・・

 

岡本、「まさか、50万とか書かれていても本当に50万も入金されている訳ないだろう~、いくら入金されているかな?」、と銀行のATMに行って、確認すると・・・・・・

 

岡本、「45万???、(税金で天引き5万円)、・・・マジで?」(給料明細は、後で渡された)

 

この瞬間から私の心の中では、佐川急便は、凄い会社、良い会社になった。

 

岡本、「(心の中)360万円ある借金も頑張れば何年かで返済出来るな!」

 

当時、国の予算みたいに入った給料は、その月に使い切るみたいな生活をしていたが、借金は、4年で完済出来た。

 

繁忙期は、休みが2日!

 

当時、休みは、月5日、6日だった。

 

だから、お盆休みや正月休みで3連休すれば、残りの1か月は、週一回の休みだった。

 

仕事のメリハリも、はっきりしていた。

 

その日の仕事が、やることが無くなれば帰れるし、逆に、仕事が終わらなければ、何時まででも仕事をする、という暗黙のルールがあった。

 

当時、ゴールデンウィーク、お盆、お正月などの大型連休は、運送会社は、営業をしていなかったので、(ヤマト運輸が365日休まず営業し始めて、他社も追随した)大型連休の直前の日などは、15時くらいに帰ったのを覚えている。

 

逆に、12月は、休みが2日だけで、毎日、午前様だった。

 

そして、翌朝の出勤も5時過ぎくらいから始まるという感じだった。

 

苦手の運転はというと、・・・とてつもなく下手だった。

 

私の入社から1か月後に入社してきた前職運送会社に勤務していた同僚には、進捗であっさり抜かれ、9月には、セールスドライバーとしてデビューしていた。(当時、セールスドライバーという言葉は、ありませんでした)

 

全ての仕事が、私にとって初めてのことであり、毎日が戦いだった。

 

運転、配達、集荷、集金、営業・・・・・・、全てを一人前にこなせなければセールスドライバーとして認められず、先輩にも認められない。

 

先輩から認められないということは、班での孤立を意味し、露骨に排除されていた。

 

高校時代は、暴走族の長をやっていたとか、佐川に入社する前は、マグロ漁船に乗って遠洋漁業をしていたとか、個性的な先輩が多く、毎朝の荷物の積み込みの時は、必ずどこかで先輩同士が喧嘩をする怒鳴り声が聞こえていた。

 

正直、エラい所に来てしまったな、という不安と、ここで耐え抜いて一人前のセールスドライバーになれたら自分は、変われる、という期待感が交錯する毎日だった。

 

そして、10月中旬にセールスドライバーとしてデビューするまでの4か月の戦いが始まった。



6 件のコメント

    • KKさん

      コメント有難うございます。
      ただのブラック企業でした。
      人それぞれの考えです。

      つまらなくて読者さんの参考にもならないので今後コメントはいりません。

  • コメント失礼します。
    私も時期は違いますが佐川OBです。
    岡本さんと同じ武蔵村山店でした。

    辞めて数年経って縁あってこちらのブログを閲覧し自分と照らし合わせてその時の光景を振り返っていました。
    今となっては笑って振り返れますが当時は死に物狂いだった記憶があります。
    ブログの更新楽しみにしておりますのでこれからもよろしくお願いします。

    • フジヤマテンプラさん

      コメント本当に有難うございます!
      そうでしたか ムサムラでやってましたか(笑)
      そうですよね 毎日がそれこそ死に物狂いで何の取柄もない私にとって多くの事を勉強させてもらいました。

      フジヤマテンプラさんは今も運送業界に携わっているのですか?
      ブログの更新、読んで参考にしていただける人がいる限り更新していこうと思います^^(なかなか更新できずにスイマセン。。)
      こちらこそ、よろしくお願いします。^^

      • コメント返信ありがとうございます^ ^
        1日1日を懸命にやってきたのですが何十年も続ける自信が無く転職致しました。
        今は運送ではなくバス業界に転職しています。綾瀬での運転研修や佐川急便での日々の運転の技術のおかげでスムーズに仕事に慣れることができました。

        別の記事ですがカスタマーへの苦情のブログを見て私も岡本さんと同じ気持ちを持っていたと共感しました。
        共に働いていた仲間は良い人ばかりで難題に立ち向かっている戦友のように思えたのですが仕事が大変すぎて周りの事を思える余裕が無かったのが残念でした。
        脳内のイメージはTVでやっているような鳥人間コンテストの人力飛行機みたいなイメージでしたね笑
        常に頑張らないと落ちてしまうような。。
        お体に気をつけて無理のない更新で頑張ってください!

        • フジヤマテンプラさん

          コメント返信、こちらこそ有難うございます!
          綾瀬での運転研修は運転技術を学ぶには本当に勉強になりますよね。
          バスの運転手ですか!
          急便の知り合いでバスの運転手になった戦友が何人もいます。
          2種免許費用をバス会社で補填してくれるようになってからバス人気が加速しましたね。

          カスタマーへの苦情ブログは大半が「運送会社のミスを言い訳すんじゃねー(怒)」という読者の怒りコメントが殆どです。
          私としては、ありのままの事を書いているだけで佐川急便の仕事内容を弁解しているつもりはないんですけどね。。
          例え言い訳で書いてるとしても、ブログですからね~、facebookやtwitterと一緒で公序良俗に反しない限り情報発信して良いんですけどね^^
          厳しい意見が多くて・・・でも、厳しいコメントでもコメントいただけるのは本当に有難いことです。

          そうですね・・・急便在職中は、目の粗いザルで篩に掛けられて落ちないように必死にしがみついていた感じですね(笑)

          本当に有難うございます!フジヤマテンプラさんもお体に気を付けて良い年越しをお過ごしください^^

  • コメントを残す

    このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください