ネットには様々なジャンルがある。
近年はSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)が盛り上がりを見せているが、その中でも日本のネット独自の文化とも云えるのが匿名掲示板であろう。
そんな地域密着型匿名掲示板の存在は、運送業界にとっても他人事ではない問題だ。
この掲示板の怖いところは利用者が「容赦ない」ところだ。
スマートフォンの普及以来、この手の匿名掲示板の利用者は低年齢化が進んでいる反面、大人がムキになって書き込みをしているという特徴がある。
そんな掲示板は、「地域の嫌なこと」をネタにすることも珍しくない。
例えば「嫌な店員」、「腹立たしいお店」などだ。
そしてこれが「嫌なドライバー」になることもある。
匿名掲示板にはヤマト運輸や佐川急便に関するものも多数ある。
例えば「ヤマト運輸のドライバー集合」といったものから、「ヤマト運輸〇〇ベース」といったように、かなり話題を絞ったものもあるのだが、そこでは当然個人情報も含めてやり玉に挙げられている社員も珍しくない。
その手の掲示板に書き込んでいるのは会社の関係者か、あるいは元関係者だろう。
佐川急便の軽4ドライバーが2チャンネルの書き込みが原因で退職
私が在職中、軽4ドライバーのYさんは営業課長Kと社内恋愛をしていた、らしい
営業係長W氏、「おかもっちゃん、軽4のYさん辞めたらしいよ」
岡本、「え・・・、ついこの間まで仕事してたじゃん・・・」
営業係長W氏、「噂だけど・・・Kと不倫していてYさんが辞める羽目になったらしいよ」
岡本、「何でバレたの?」
営業係長W氏、「何でもネットの掲示板に実名で書き込みがあったとか・・・噂だけど・・・」
営業課長Kは、課長職でありながら軽4の女性ドライバーに手あたり次第声を掛ける人望のカケラもない課長だった。
岡本、「(心の中)あ~、あいつならあり得るな」
岡本、「課長も辞めるの?」
営業係長W氏、「いや・・・現状維持らしいよ」
岡本、「・・・・・・」
不思議と営業課長Kはお咎めなしだった。
佐川急便の元社員が誹謗中傷する2チャンネル掲示板
ヤマト運輸にせよ佐川急便にせよ、元従業員や元アルバイトまで含めたらその人数は膨大なものだ。
それだけに、かなり盛り上がっている匿名掲示板や地域密着型掲示板もある。
ポジティブな話題で盛り上がっているのであればまだしも、かなりネガティブな話題で盛り上がっているのは問題だ。
ネットの匿名掲示板にモラルを求めても無理であろうが、決して見ていて気持ちの良いものではないことだけは確かだ。
反対にヤマト運輸や佐川急便に対して悪意を持っている人たちにとってはきっと面白いのだろう。
「出る杭は打たれる」との言葉もあるように、目立った存在というのは何かと叩かれやすいものだ。
ヤマト運輸も佐川急便もその対象だ。
一生懸命部下に教えたつもりでも、部下にとっては「ウザい」「面倒」であり、かといって面と向かっては言えないので匿名掲示板で「ウサ晴らし」をすることもあるだろう。
結局、誰でもが「ターゲット」になってしまう時代になったということだ。
ヤマト運輸や佐川急便のような大企業はブランドイメージを守らなければならない宿命がある
こうしたネットでの騒動になると、ヤマト運輸や佐川急便はどうしても弱い。
特にヤマト運輸の場合は、「何かあったら謝っておけ」というムードが社内に蔓延している。
情けないと思う人もいるかもしれないが、大企業としてはこれが正解なのかも知れない。
なぜなら、もしもあれこれ言い返せば騒動がより大きくなってしまう。
例え会社側の言い分が正しいとしても、ヤマト運輸というブランドに傷を付けてしまうかも知れないからだ。
もちろんこれは佐川急便とて同じだ。
つまり、企業としてのブランドや信頼が「手かせ足かせ」になっているからこそ、迂闊なことはできない。
ネット時代にヤマト運輸と佐川急便はどう対処すべきなのか?
ネット時代と呼ばれて久しいが、上層部は残念ながらネット上での風評に対してこれといった対策を見い出せていない。
理不尽な事柄に対しては毅然とした態度をとっても良いのではないかとは思うが、「波風を立てたくない」という考えがあるのだろう。
しかし、今の時代はそのような受け身の姿勢は、クレーマー等にとっては格好のターゲットだ。
「ヤマト運輸なら何も言い返してこない」「佐川急便が相手なら絶対にこっちが勝てる」と思っているクレーマーも全国に多数いることだろう。
ドライバーや営業所など現場を支えているスタッフたちは、ヤマト運輸の上層部に毅然とした態度を取ってもらいたいと思っていることだろう。
なぜなら、ヤマト運輸上層部の事なかれ主義の姿勢が、結局はドライバーなど現場の最前線にいるスタッフが直接の被害を受けるのだし、尻拭いすることにもなるからだ。
ヤマト運輸や佐川急便の上層部は自社のブランドを守ることも大切だが、それ以上に社員たちも守るという責務があるのではないだろうか?
社員たちをしっかりと守ってくれる企業ならば、社員たちも会社を守ろうとする。
相互の信頼関係がより良く、より強い会社を築くのだが、残念ながら今のところヤマト運輸にせよ佐川急便にせよそのような強固な関係は見受けられない。
身代わり駐禁であれだけ多くの書類送検者を出した佐川急便。
普通の企業ならばマスコミ呼んで大々的に謝罪会見をするところですが、トップは「現場が勝手にやったこと私達は知らぬ存ぜぬ」と逃げ回りましたからね。
社員を守る気なんて更々ないと思います。
飛脚君さん
お忙しい中、いつもコメントありがとうございます!
同感です。
・【佐川急便身代わり出頭事件を徹底検証】ドライバー復帰!最終試験に不合格で土下座
・【佐川急便身代わり出頭事件再発防止策】事件発生から9か月の謝罪文がお粗末な内容
この記事でも書きましたが、社長が社員を守れない会社はダメ会社ですよね。(あまり偉そうなこと言えませんが・・・)
社員が身代わり出頭なんてリスクをとること自体、現場は疲弊してるんですよね。
それを「社員が勝手にやった」なんて・・・、開いた口が塞がらないとは、まさにこのことですよね!
佐川急便の取締役の方々には、TBSのドラマ「下町ロケット」の精神を見習って勉強してもらいたいものです。
いつもコメント、本当にありがとうございます!
私が知っている限りの情報をお伝えして、お役に立てればと思っております。
今後ともよろしくお願いします。(飛脚君さんのコメント励みになります! 年末が迫ってきましたね~。今年は、どうなることやら・・・)
1995年に約半年間、佐川急便で働いていた者です。当時は月給130万円のセールスドライバーが各営業所の8割以上を占めるという今では想像も付かないお伽話のような超バブルな時代でした。高卒でも昇格していけば月給100万円超え。それで一部、半グレみたいな奴らが集まっていたのは否めません。勿論、まともな人も居ましたが。僕は全国模試で全国ランキング上位300名までが名前が公表される時代のランカーでしたが、家庭内暴力が気になって勉強が手に付かず成績は下がる一方で地方三流国立大学に入学。某会計事務所の内定を貰ってましたが、ゼミで悪気は無かったのですが論破して目立ちまくっていたのが教授が気に入らなかったらしく単位を貰えなかったので、まあ、しょうもない学歴なんかもうどうでもいいやと中退しました。そして、給料が高かった佐川急便に入社しました。参事さん(かなり偉い人。かなり年配でした。)に呼ばれました。参事さんは僕の事を調べたらしく「君みたいな優秀な人材はなかなか来ない。早く昇格して僕と変わってくれ(参事になってくれ)。佐川急便はこれから物凄く大変な時期になる。佐川急便を救ってくれ!君に全てを託す!期待してるから、頑張るんだぞ。」と入社早々にもんでもない期待を寄せられました。その事はおそらくお茶汲みを通して?リーダーや課長にも知り渡り、課長は物凄く気に入ってくれましたが、リーダーや周りはほぼ高卒でちやほやされた反面、引き摺り落とし工作を感じたのと、同僚がパワハラで自殺して僕にまでパワハラの気配があったので、煙たがられてるなら去るべきだなと辞めました。今、振り返ると、かなり売上が良かったらしく全体朝礼で売上が良いとあんなに喜んでいたのに、やはり、参事さんって情報力と先見の明があったんですね、あの佐川急便がここまで落ちぶれるなんて想像もしてませんでしたwまあ、参事さんには申し訳ない事をしたけど、僕が事態を改善できたとは思いません。ただ、原因はわかります。集荷先のお得意様企業でリーダーなどが出荷担当者を威嚇して荷物を脅し取ったり、西濃運輸やヤマト運輸のドライバーとやり合う事が多かったらしいのが原因だと思います。特に、お得意様を脅すのはNG。僕はお得意様の泣き言?愚痴?クレームを聞いて宥めてました。愚痴を聞いてくれたお礼にそこらの荷物持ってってwと荷札を他社から貼り替えてくれた時もたくさんありましたwえ?こんなにたくさん?w良いんですか?良いよ!良いよ!お宅みたいに話を聞いてくれるドライバーは居ない!まだあるよ!全部持ってて!w(ありがたいけど忙しくなるwでも、ありがたく引き受けましたw)まあ、脅しがあったからこのような結果になったのかもしれないけど、減っていた荷物が戻ってきたのもあるので、やはり、脅しはいけないですよ。パワハラもね。その結果、バチが当たって、みんな給料が安くなった。そして、辞めてった。真面目に紳士的に客と向き合ってれば、もしかしたら、まだ月給130万円とかだったかもしれないし、もっと給料が増えていたかもしれない。残念だけど、もう、戻れない過去の佐川急便の栄光。
つか、まだ、パワハラやってるらしいですね。安月給なのに、信じられません。
名乗るほどでもありませんさん
コメント、本当に有難うございます^^
1995年といえば、平成7年。
私は平成6年入社なので、とても厳しい時代だったと思います。
当時の佐川急便はとても癖のある素晴らしい先輩ばかりで(普通の人ではとても務まらなかったと思います)
あの時代の激闘の日々は私の財産だと思っています。
私も佐川急便在籍中は会社を恨んだり、愚痴を言い続けた時期もありました。
昔の佐川急便の「良いもの」を捨てなければ、佐川急便が現在の運送業界で生き残っていくことは難しかったと思います。
名乗るほどでもありませんの益々の繁栄を願っております。
また、コメントいただけることを楽しみにしています^^