【Oh My God(神様)!】「ハワイホノルル空港での税関トラブル」税関史が私的な職権乱用で75万円の支払い

今回の話は、旅行代理店で働いていた知り合いがトラブルに巻き込まれた時の話です。

 

かる~い気持ちで読んで下さいね。

 

今は「ダニエル・イノウエ空港」と名前が変わったハワイ州のホノルル空港での出来事です。

 

日本とハワイの時差、飛行時間

 

日本とハワイは19時間の時差があり、日本の4月16日の午後6時(18:00)は、ハワイの4月15日の午後11時(23:00)です。

 

日本を20:45に出発するとホノルルには同日の朝09:15分に到着します。

 

往路の飛行時間は風に乗って進むので7時間30分です。

 

復路はゴルフでいうところのアゲインストで8時間40分かかります。

 

行きは19時間得するので出発の日には同じ朝を2度迎えることになります。

 

帰りは逆に19時間ロスするので、通常のツアーのパターンは4泊6日となります。

 

ハワイ州ホノルルの事情

 

アメリカ合衆国には50の州がありますが、ハワイ州は1959年に最後の50番目に加盟した州で、州都はホノルル市です。

 

オアフ島、ハワイ島、マウイ島、カウアイ島、モロカイ島、ラナイ島、ニイハウ島、カホオラウエ島の8島と100以上の小さな島からなるハワイ諸島のうち、ミッドウェー環礁を除いたすべての島がハワイ州に属しています。

 

1年中温暖な気候で暮らしやすいハワイ。

 

南岸のワイキキビーチ周辺には高層ホテルが立ち並びメインストリートのカラカウア通りには1日中人が溢れています。

 

日本人にとっては憧れの島で、リピート率は90%を超えると言われています。

 

ハワイの移民

 

ハワイにおける移民は、サトウキビ畑や製糖工場で働く労働者を確保する目的で1830年頃に開始されました。

 

日本、中国、ポルトガル、ドイツなど多くの国から移民してきましたが、日本からの移民は実際には1868年から開始され、1900年代初めにはサトウキビ畑の70%が日本からの移民であったと言われています。

 

ホノルルの日系人

 

以来、排日移民法が成立する1924年までにおよそ22万人が日本から移民しました。

 

移民の多くは契約期間が終了した後もハワイに残り、日系アメリカ人としてハワイ社会においてハワイの基盤を築きました。

 

その後、第二次世界大戦の勃発に伴い、アメリカ本土の日本人移民と日系アメリカ人が強制収容所に収容されました。

 

ハワイの日本人移民や日系アメリカ人の一部が強制収容所に収容されるなど、苦難の歴史がありましたが、今では議員を始めとしてハワイの中枢において確固たる地位を築いています。

 

ハワイコンベンション・ツアー

 

1985年(昭和60年)アメリカのヘルスケア用品メーカーの大手であるZ社の日本支社がハワイホノルルに200名の優秀セールスマンを招待するインセンティブ(褒賞)ツアーを企画しました。

 

私が所属していたA旅行者が落札し、添乗員5人を派遣して盛大に挙行されました。

 

アメリカの会社は大統領機と副大統領機を分けているように、リスクを分散する為100人ずつ2班に分けました。

 

丁度30分違いで運航していたユナイテッド航空と日本航空に分散しました。

 

4日間の滞在が予定され、着いた日は休養、2日目はホテルの大会議場を借り切ったコンベンション(営業会議)、その夜は社員による演芸大会、3日目はゴルフ大会、4日目は自由行動という日程でした。

 

セールスマンたちは、2日目のコンベンションに備え大量の会議用資料、フラの衣装など演芸大会の小道具など段ボールも50個ほどに上りました。

 

日系アメリカ人の税関吏は日本人に対して良い感情を持っていなかった?

 

私はそれまでに何度もハワイに旅行し、ホノルル空港の入国手続きや税関審査に時間がかかることは承知していました。

 

お客様一行は自分達の荷物を通関し全員問題もなく入国しました。

 

そして、税関には50個の段ボールが残されていました。

 

我々は添乗員として、ツアーを代表して通関手続きをしようとしました。

 

たまたま私の担当の税関吏は日本人の顔を持つ日系アメリカ人でした。

 

ホノルル訪問の目的、段ボールの中身などについて説明を始めました。

 

税関吏はダンボール全てを開けるよう命じました。

 

それはそれで仕方のないことなので、部下の添乗員と共に素直にガムテープを剥がし、全部を開封しました。

 

その中には、前述のように会議で使用する会議資料(コピー機でコピーされたもの)、演芸大会の小道具などでしたので、これで納得してもらえるものとばかり思っていました。

 

すると突然その税関吏は思わぬ発言をしたのです。

 

箱の中身全てに税金をかけると言い出したのです。

 

会議用資料は「輸入用印刷売物、書籍」として、演芸大会の小道具は「輸入玩具」として課税するというのです。

 

私は唖然とし、これらは会議用のコピー資料であり、印刷物、書籍ではない。

 

小道具も手作りの使い捨てである旨を必死に説明しました。

 

その頃他の乗客はすべて通関を終了し、我々と荷物だけが残されていました。

 

隣のカウンターにはアメリカ人らしき税関吏が心配そうな様子でこちらを見ていました。

 

日系税関吏が荷物をチェックしている隙にそのアメリカ税関吏に助けを求めました。

 

税関吏の独立性

 

そこで、またしても驚くべき発言を聞いたのです。

 

「気の毒になあ~。私も助けてはあげたいのだが、この税関のシステムはそれぞれが独立した権限を持っていて、お互いに口出しができないようになっているんだ。君たちも運が悪いよ。彼は税関でも有名な日本人嫌いなんだよ」

 

そのとき私は思わず、「Oh My God(神様)!」と叫んでいました。

 

結果的にZ社も「金銭で済む事なら仕方がない」と妥協してくれ、ホノルル支社を通して税金およそ3,500ドル(日本円でおよそ750,000円)を支払い、無罪放免となったのは、約6時間後の午後3時過ぎでした。

 

いくら日本や日本人が嫌いだからといって、「職権乱用」でやり過ぎでしょ!

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