【営業の花形】海外添乗員勤務に抜擢も理不尽な上司の決定に「人生を変えた一言」

世の中には「初めて=前例がない」という理由で断られたり、案件が却下されたりすることが少なくありません。

 

今回は、初めてだからといって断られても、めげずに上司に向かっていった若かりし頃の話をご紹介します。

 

日本社会の「前例がないから・・・」が進歩を止める

 

「前例がない」を多用する人は、新しい事に取り組んだり、受け入れたりすることができない「頭の固い人」と言われます。この種の人たちは「前例がない」を断る口実に使い、頭から否定します。

 

公務員など公的な仕事に就いている人たちは、ルールや規範が厳しく前例や法律に従った判断を下す職務なので仕方がない面はあります。特に裁判の場合などは、「判例」という前例集に基づいて判決を下すのが通常です。

 

しかし、2019年1月25日に大阪地裁支部があおり運転に対し、初めて殺人罪の成立を認め懲役16年の実刑判決を言い渡しました。これが、あおり運転判決の実例として判例集に載ることになります。

 

民事・刑事といった事件の判例がどの位の数あるのかは不明ですが、よく考えてみれば、「前例がないから」という理由で新たな判決が下されなければ、判例集は成り立たないのではないでしょうか? 新しい判例の蓄積があってこその判例なのではないでしょうか。

 

もちろん、闇雲に新しい判例を求めるものではありませんが、犯罪や事故の形態も時代とともに変遷しているのですから、時代の変化に沿った判決が出てくるのは当然のことと言えます。

 

上司である課長は「初めてだから、前例がないから」という理由で「添乗」を許可しなかった

 

私はアメリカ資本のA旅行会社に勤務し5年目にしてやっと他部門から営業部門に配置転換されました。営業部門の花形は何と言っても「海外添乗員」です。昭和40年代の後半のことで、まだまだ団体旅行などは少なく、海外添乗員の業務は競争が激しかった時代です。

 

べテラン社員でもなかなか順番が回って来ないほどでした。そのツアーは「JALパックヨーロッパツアー」で、航空機以外の地上手配(ホテル・食事・バス・ガイド等の手配)をA社が請け負っていました。その関係で、A社に添乗員派遣の依頼が来たものです。

 

私は英語が出来たので、前部門の上司が添乗員として推薦してくれたそうです。営業部門には部長の他3人の課長がいました。数少ないチャンスだったので、部課長の間では人選に関しかなりの議論がなされたと聞きました。

 

最終的には、その添乗員業務はHというべテラン部員に決定したとのことでした。部内での議論や決定のプロセスなどは本来「部外秘」なのですが、親切な(会社からすればお節介な)人が、私に囁いてくれたのです。

 

『Y課長が、お前は添乗員の経験もないし、まして海外旅行も初めてなので、ダメだと強く主張し、その意見が通ったらしいぞ』

 

私はそれを聞いて「ムッと」しました。アメリカの会社でこんな理不尽なことが通用して良いのだろうかと憤慨しました。自分には能力もないし、性格的にも添乗員に向いていないなどの理由で許可されなかったのならば、まだ納得できます。

 

「初めてだから、前例がないから」の理由だけで添乗が許可されないのであれば、自分は永久に海外添乗員の仕事はできない理屈です。こんな理不尽なことが罷り通ってよいものか。そう思った私は早速Y課長に直談判に行きました。

 

私、「今回のJALパックの添乗員の仕事は、私に経験がないということで許可されなかったらしいですね?」

 

Y課長、「そうだよ、大事なJALパックのツアーだから初めての添乗員ではマズイだろ!」

 

私、「確かに会社としては不安だと思います。でもそうだとしたら、私は永久に添乗できないことになりますね。添乗員教育をしていただければ十分こなせると思いますが・・・」

 

Y課長、「それは俺の関知する問題じゃない。決まりは決まりだから今回は我慢しろ!」

 

私は、普段からこの課長の物言いに不満を持っていたので、ここでそれが爆発しました。そして、こう言い放ったのです。

 

私、「課長ひとつお尋ねします。課長は生まれたときから【童貞ではなかった】のですか?」

 

Y課長、「君は何てことを言うんだ。会社の決定にいちゃもんを付けるなんてとんでも無い奴だ。帰れ!」

 

私、「私の言いたかったことは、誰にでも【初めてのことはある】ということを言いたかっただけす。失礼します!」

 

最後の大逆転

 

もちろん、Y課長は私の抗議を受けて発言を撤回するようなことはありませんでした。ところが、私がちょっと変わった抗議をしたことを、日本人のトップであるA総支配人が聞きつけました。そして、営業部の幹部を呼びつけ、先の決定を撤回するよう指示したのです。

 

そして、A総支配人の「鶴の一声」で私の第1回目の添乗員の仕事が実現し、それから約20年間に亘り次々と世界中を飛び回ることになったのです。

 

因みに、そのA総支配人は私をA旅行社に入社させてくれた恩人でもありました。

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